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「行けば考える」:菅原和孝 他「世界の手触り フィールド哲学入門」

 今回取り上げるのは「フィールド哲学」という言葉に惹かれて購入したこの本です。

世界の手触り―フィールド哲学入門

世界の手触り―フィールド哲学入門

 

「フィールド哲学」 は人類学者の菅原和孝氏が提唱した言葉で、おおざっぱに言えば「フィールドワークの経験から哲学する」ことだと思います。本書ではそれぞれの著者が、各々の分野での「フィールド哲学」の実践例を報告しており、それぞれ刺激的な内容になっています。特に手話サークルの分析からコミュニケーションについて考察した「創発されるコミュニケーション(第3章/佐野文哉)」は興味深かったのですが、感想を書き出すとキリがないため以下では「フィールド哲学」についてメタ的に考察されている第1章を取り上げてみたいと思います。

「なじみ」を切断する

第1章「フィールド哲学とは何か」はフィールドワークと哲学の接続について考察した章となっています。著者の佐藤和久氏は下記のようにフィールド哲学を(仮説的に)特徴づけます。

フィールド哲学とは何か。それは、自分自身をとらえて離さず、そして哲学的と呼びうるような長い射程をもった問題について、孤独な概念的思索のみによってではなく、いま自分自身が他者とともに生きている日々の経験のあり方を緻密に分析していくことを通じて、思考することである。

フィールド哲学を実際に行う上で重要だと思われる点は二つある。①あなたが問いたいその問いについて考えるのに最も適すると思われる場所を探し、そこに行くこと。②その場で活動している人たちのあいだに身体を置き、その場で起きていることにあなたの思考を徹底的に沿わせながら、自分自身が真の意味で納得できるまで思考すること。(p.27)

では、①でいうような「問いを考えるのに適する場所」というのはあるのでしょうか。佐藤氏は「一般に哲学することは、思考する場所と結びつけて語られることは少ない」としつつも、哲学的モードに入りやすい場所があると指摘します。それは「私が私であることを堂々と一時中断できるような場所」だといいます。それは、例えば仕事上の肩書き等の自分の役割を脱ぎ捨てられる「サードプレイス」であったり、「ただの肉として湯のなかに浮かぶとき(お風呂)」であったり、「路上や車中で、匿名の誰かとして、私的領域にひきこもるのではなく人々のあいだにいるとき」であったりします。これらは「私というアイデンティティーを堂々と宙吊りにし、自分であるということを一時停止することが正当化されている」場所ですが、このような場所においては「自分自身を構成する環境への〈なじみ〉から一時的に切り離される」と佐藤氏は述べます。

佐藤氏は「フィールド」に出ることがこのような「なじみ」を切断し、「おのれ自身の端緒が更新されていく経験」としての哲学的思考を起動させる、と言います。

ポイントは、異なる場所に移動することで、みずからのアイデンティティが宙吊りになり、「加工されていない経験」が立ち現れてくることにある。その経験に新たな手触りを感じることが、哲学的思考を半自動的に起動させるのだ。行けばわかる*1のではなく、行けば考えるのである。(p.38)

「なじみの切断」という考え方はカフェなどのサードプレイスや旅にも応用できる考え方で、個人的には非常に参考になりました。一方で、フィールドワークにおける「なじみの切断」が哲学的思考を起動させることには同意するものの、そのフィールドが「あなたの問いを考えるのに最も適した場所」であるのかどうかという点については、もう少し検討する必要があると思いました。

巻末に鷲田清一氏と菅原氏の対談が載っており、そこで鷲田氏は次のように疑問を投げかけています。

そこで菅原さんに聞きたいのは、哲学がフィールドワークするっていうときに、考えてもわからないものすごいやましさがあるんです。哲学ですからケアやお笑い、政治、教育の現場、ありとあらゆるところがあるじゃないですか。それをやり抜く人たちから本当に大事なことを聞き取るときに現場をどう選ぶか。僕らはケアからはじめて看護の世界に行ったけど、なぜここなのか、という正当化ができないんですよね。お笑いで吉本でもよかったんじゃないかと言われると、「うっ」と詰まる。なぜこの現場を選ぶかっていう問題をどうやって思想的に理屈づけられるのか。(p.242)

これに対して菅原氏は「フィールドを選ぶというのはやっぱり偶発的だとしかいいようがない」と応えています。偶発的に選ばれたのなら、そのフィールドが「問いを考えるのに最も適した場所」であるとはやはり言えないのでは、という疑問が残ります。そもそも「問いを考えるのに適した場所」とは何なのでしょうか。これらの問題に関して、自分としてはフィールド哲学の方に肩入れしたい気持ちがありますが、長くなりそうなので別の記事で書きたいと思います。

(おわり)

*1:この章の前段ではフィールドワークの「秘教化」(「行けばわかる」的な伝え方)と、その反動としての「秘境化」(フィールドワークのノウハウが教科書化されることで、逆にそれを学ばないとフィールドに出れなくなる、という風にフィールドワークを遠ざけてしまう)について触れられている。