びわ湖に浮かぶ沖島で「哲学ツーリズム」の練習をしてきた(前編)
旅と哲学を組み合わせた「哲学ツーリズム」について、以前の記事で書きました。
この具体的なやり方について、しばらくぼんやりと検討を続けていたのですが、まずは試してみるのが一番早いと思い立ち、近場で一度やってみることにしました。
今回行き先として選んだのはびわ湖に浮かぶ島「沖島」です。なんとこの島、人が住んでいるんです。びわ湖の中なのに。しかも小学校や郵便局もあります。前々から一度行ってみたかったので、ちょうどいい機会になりました。
沖島に興味のある方は例えばこんな記事を読んでみるといいかも。素敵なところです。
「問い」と旅にでる
行き先が決まったところで、「哲学ツーリズム」で何をするかということが肝心なのですが、提唱者(?)の私もまだよくまとまっていません。ただ、見知らぬ土地に出かけ、様々な人やモノと出会うことで刺激を受ける、という旅の性質は、もともと哲学と相性がいいと考えています。旅に出ることで、それまで自分が抱いていた固定観念や思い込みが揺さぶられ、立ち止まって自らの考えを見直す契機になる。これはメルロ=ポンティがいうような「おのれ自身の端緒が更新されていく経験」としての哲学と非常に近いのではないかと思います。
旅が本来持っているこのような性質を生かしつつ、自らのもつ前提にもっと気づきやすく、更新していきやすいようなプログラムにできないかと考えた結果、「問いを決めて旅に出る」というコンセプトに思い至りました。ざっくり以下のような感じになります。
▼コンセプト
「問いと旅に出る、問いを生き直す、問いを更新する」(仮)▼大雑把にやること
事前にそれぞれが旅に持っていく「問い」を決める。
例えば「自由」という大きなテーマを決めておき、各自が個別の問いを考える。(事前に哲学カフェなどの対話を行い、問いを出してもよい)
現地で色々なアクティビティ(哲学対話に限らない)をする中で問いを更新していき、最後に発表する。
哲学ツーリズムは自分の持ち込んだ問いについて徹底的に考える時間となる。日常を離れた場所で様々な刺激を受け、問いをさらに更新していく。
いざ沖島へ
当日更新していたTwitter投稿で様子を振り返っていきたいと思います。
哲学ツーリズムは事前に決めた「問い」が旅の中でどう変化するのかを体験します。今回は試験的に「平和とはどういう状態か」という問いを選びました。昨日まで実家に帰っていて「平和だな」と感じたためです。#哲学ツーリズム
— Kazunori Yamamoto (@sangpong25) 2018年5月6日
問いは実家に帰ったときに感じた「平和だな」という感覚から「平和とはどういう状態か」にしました。沖島もなんか平和そうな感じだったので…(すみません、結構適当です笑)
とりあえず目的地に着く前に「平和とはどういう状態か」について仮に答えます。「争いのない状態である」この答えに対して吟味を加えていきます。本当は複数人でやるつもりですが今回は1人なので自問自答になりますw#哲学ツーリズム
— Kazunori Yamamoto (@sangpong25) 2018年5月6日
今回は一人旅なので基本は自問自答になります。あとでも触れますが、本当は複数人で対話する時間も欲しいところです。
まずは京都から電車で近江八幡へ向かいます。その途中のひとコマ。
近江八幡からバスで港へ。駅での乗り越し精算の列が思いのほか長く、バスの時間に間に合うか心配になり少しイライラした。これは平和な状態ではない気がする。
— Kazunori Yamamoto (@sangpong25) 2018年5月6日
ということではじめの仮説に対して「争いがなければ常に平和か?」を問い吟味する。上の体験は反例になりそう。#哲学ツーリズム
「問い」を明確にして旅をすると、旅先でのちょっとした出来事が自分の問いを考えるヒントになっていることに気づきます。
近江八幡からバスで堀切港という港に行き、そこから船で沖島に向かいます。詳しい行き方に興味のある方は下記のページが参考になります。
今回乗った「もんて号」。結構キレイです。
船に乗って10分ぐらいで沖島に着きます。
沖島到着。えっ、これびわ湖の島なの… pic.twitter.com/BGuPb6eqaM
— Kazunori Yamamoto (@sangpong25) 2018年5月6日
なんていうか、あまりに普通に人が住んでて驚きました笑