ICPIC2022体験記その1:プレカンファレンス・ワークショップ

東京で来週から開催される「子どもの哲学国際学会(ICPIC2022)」に参加する予定。

icpictokyo.jp

本大会に先立ち8月5日・6日と行われたプレ企画にも参加したので、その様子を書いておこうと思う。parkさんの企画も少し覗くことができたが、とりあえずKohanさんのものだけ。(後で追記するかも)

Walter Omar Kohan氏のワークショップ

ブラジルの哲学者Walter Omar Kohan氏のワークショップに二日間通して参加した。

ワークショップのタイトルは"Can we experience together a philosophically childlike pedagogy of the question?"、日本語訳すると「哲学的でこども的な問いの教育法を共に体験できるだろうか?」という感じだろうか。

ワークショップは基本的に英語で実施されたが、英語があまり理解できない日本語話者やスペイン語話者が参加していたため、ワークショップは都度丁寧に3ヶ国語に翻訳される形になった。(私も英語は不慣れなので正直助かった)後述するようにこの対応に至る流れが非常に自然で、Kohan氏の姿勢をとても良く表しているように思えた。

セッションの流れは以下のようなものだった。

1日目

自己紹介&問いの共有

問いは自らの現在(present)を表現すると同時に、この場にいる人たちへの贈り物(present)でもあるということが冒頭にkohanさんから述べられた。セッションの初めは全員が自分の名前を紹介すると共に、この場にpresentする問いを発表していった。

これ以降ワークショップの最後まで、基本的に参加者が行ったのは「問いを出す」ことだけであり、他の人の問いに直接答えるということはなかった。ただし、ある人が問いを発表すると、それに共鳴する問いを他の参加者が次々と発表していき、それがとても応答的なプロセスになっていることが興味深かった。kohanさんもそれぞれの問いを別の形で言い換えたり、新たな問いを付け加える形でコメントしていた。

他の参加者の問いの掲載は控えようと思うが、自分が出した問いは"When questions come to us?"だった。これは他の人の問いを聞いて浮かんだ問いでもある。

問いをcombineする

ようやく準備が整ったということで、WSのテーマである"childlike question"に関連する問いをつくるセッションに移った。自分の問いを隣の参加者に渡し、その人がその問いに関する新たな問いを付け加える。最後に、付け加えられた問いと自分の問いを合体させて一つの問いにする、という流れだった。

自分が最初に出した問い

What is the difference between childlike questions and adult's questions?

隣の参加者が付け加えた問い

Why should we think that they are different?

combineさせた問い

Is it really defferent childlike questions and adult's questions?

参加者全員でcombineした問いを共有し、1日目は終了した。

2日目

昨日何をしていたのかを1語で表す

前日の振り返りということで、昨日私たちが何をしていたのかを動詞1語で表すことになった。非常に多様な動詞が提案され、それぞれとても興味深かった。私は"combining"を選んだ。問いを結合させるという作業を行っただけでなく、セッション全体を通して自分の問いを参加者の問いが合わさっていくような感覚があったからだ。

動詞を使って問いを作る

参加者から出された動詞のリストの中から2語以上をつかって問いを作ることになった。私の作った問いは以下のようなものだった。(""が参加者から出た動詞)

Does "translating" always "include" "reapeating"?

問いをcombineする

参加者でペアを作り、話し合いながらそれぞれの問いを1つの問いにcombineする作業を行なった。それぞれが問いたかったことを聞き合うことで、異質なように見える問いを1つの問いにしていく過程がとても面白かった。

今回は時間がなかったため1ペアの実施で終わったが、時間があればcombineされた問い同士をさらにcombineし…という感じで最終的に1つの問いを作ることも行うという。さらにその1つの問いを、逆に参加者一人一人の個別の問いに再度分割していくこともあるとのことだった。

問いを共有する

ワークショップの締めくくりとして、最後に参加者と共有したい問いをそれぞれが発表して終わった。私が最後に出した問いは"Why one's question effects other questions?"、まさにセッション全体を通して感じた不思議な感覚についての問いだった。

感想

改めて文字にすると「え、これだけ?」という感じで、やった内容自体は全然少なかったが、体感としてはとても充実した時間だった。

まず、それぞれのセッションがとてもゆっくり、時間をかけて行われていた。特に翻訳については元々は英語のみのセッションの予定だったが、参加者やスタッフで協力しつつ3ヶ国語に丁寧に翻訳する形になった。英語に不慣れな参加者が教室に来た際のkohan氏の対応がとても自然で、しっかりと席を設け、「配慮」というよりもwelcomeするという姿勢が滲み出ていた。2日目のセッションでは1日目に参加していなかった人も参加していたが、この人に対しても同じような姿勢だったように思える。

kohan氏が途中で語っていたが、翻訳するというのは時間を無駄にすることではなく、むしろ同じ問いを繰り返して聴くことでゆっくりと考える時間が取れ、重要な行為だとkohan氏自身改めて気づいたとのことだった。翻訳というのはpoliticalな行為でもあり、時間やリソースを理由に対話の場から排除しないようにすることだ、と別の参加者もコメントしていた。実際、今回のワークショップ参加者には英語を母国語にする人が1人も参加しておらず、その観点でも翻訳という行為と「共に考えること」のつながりを考える上で非常に示唆的な体験だったように感じる。

また、セッションを通して「問い」に答えることは行われなかったと書いたが、誰かの出した問いについて、kohan氏や参加者が都度自分の関心と引きつけてコメントすることは何度もあった。コメントの内容自体も興味深いものばかりだったが、出された問いが「問いっぱなし」ではなく丁寧に場で扱われているように感じ、そのことも充実した時間だと感じた要素の一つだと思う。

日本語で哲学対話を行う際に、果たしてこれほどゆっくり丁寧に考えられているだろうか?「翻訳する」という体験を日本語のみの場でも応用できないか?そんなことを考えさせる非常に有意義な時間だったと思う。参加してよかった。

kohan氏は今回理論については語らなかったが、本大会でもいくつか発表に登壇する予定で、その話も聞いてみたいと思った。特にフレイレについての発表があるとのことで楽しみにしている。

(終わり)