ICPIC体験記その4;メインカンファレンス3日目&ポストカンファレンス

ICPIC3日目とポストカンファレンスの振り返りです。過去の記事はこちらから。

Keynote3

運営企画シンポジウム:哲学教育とマスメディアの役割

基調講演 - ICPIC Tokyo

この日、午前中はオンラインで視聴。メディアと哲学教育の関係がテーマということで、これまでとは少し趣向が異なりメディア関係者の視点での話が聞けたことは新鮮だった。

この時間でなんといっても印象に残っているのは『Q〜子どものための哲学』についてのフロアからの質問で、なぜぬいぐるみのキャラに年配の男性の声が、子どものキャラに大人の女性の声が当てられているのかということだった。メディアやそれに影響された私たちのバイアスが炙り出されたようで痛快ですらあった。

Session 9:RoomA

午後からは会場に移動して現地参加。興味深い発表が集まっていた部屋に参加。参加者はかなり多かったように思う。

タイトル:Understanding ‘gated’ communities of inquiry
発表者:Florian Franken Figueiredo (Nova University Lisbon)

Darren Chettyの論文「Racism as ‘Reasonableness’: Philosophy for Children and The Gated Community of Inquiry」を下敷きにした発表。内容にはとても関心があったのだが、ほとんど口頭での説明で内容も専門的だったため、あまり理解できなかったのが正直なところ。まずは元の論文を読むところから始めたい。

タイトル:Voting on the questions in a Community of Philosophical Enquiry:
Age as a category of exclusion in classrooms and the world
発表者:Rose-Anne Reynolds (University of Cape Town)

南アフリカケープタウンでの実践の話で、問いへの投票という馴染み深いテーマだったためとっつきやすかった。対話の問いをどのように決めるか、というプロセスがすでに一つの民主的実践でもあるという視点に共感するが、単純に票が多かった問いに決めればいいのかという検討もやはり必要だと感じた。(後日開催された日本哲学ラクティス学会シンポジウムでも似た話で「多様決」が紹介されていた。)

www.cultibase.jp

タイトル:what are we missing? epistemic injustices, voices from/for the present
and not from/for the future

発表者:Tiago Almeida (Lisbon School of Education); Carla Gomes (NICA: University of the Azores; Oceans-On)

こどもの声に真に耳を傾ける(listen)ことはどのようなことなのか、こどもを未成熟な存在と見做したり、大人と同様の尺度(こどもも大人と同じ能力がある)で認識することの問題点についての発表。認識論的不正義の観点を踏まえ、こどもが声(必ずしも大人が認識する言葉ではない)をあげる瞬間に焦点を当てた発表となっており興味深かった。(余談だが、この発表者の方とはとにかく参加したプログラムが被りまくっていて一番印象に残っている)

Session10:Room G

タイトル:“PHILOPOLIS: building a philosophical city”
発表者:Paulina Baños Lerin

ちょっと変わったワークショップに出てみたいと思いこちらの部屋を選んだところ、なんと会場には私しかいなかった…オンラインには数名の参加者がいたのだが。日本人の参加者は私しかいなかったので、少し詳しめにレポートする。

内容は「もしp4cの理念が全体に行き渡ったら、どのような都市になるだろうか?」を考えるもの。「環境、経済、行政、教育、健康」という、都市生活に関わる5つの観点から一つをチームで選び、その観点でp4cの理念が浸透した都市がどのような姿になっているかを考え、レゴブロックや人形、絵などで表現してみるというものだった。p4cと経済の関係などはあまり考えたことがなく興味深かったが、今回はロシアからの参加者の希望で「教育」の観点が選ばれた。

教育という観点から見たときに、どのような都市になるだろうかということをディスカッションする。学校は存在せず、街のあらゆる場が教育の場になっているのではないだろうか。病院の待合室でも、電車の中でも…。でもあらゆる場が対話の場になっているのではなく、一人で考える時間も欲しい…などなど、色々と空想をして、今回は最後に各自が思い思いの都市の姿を表現してみることになった。

私は都市が円形になっていて、中心に広場(アゴラ)があるような姿になるのではと思い絵に描いてみた。他の参加者はウサギの人形を並べてストーリーを熱弁していたりしていてとても面白かった。

やまもと画伯の描いた都市

Session11:Room B

タイトル:地方創生における P4C の実践と貢献可能性を考える
発表者:得居千照(筑波大学大学院)、柳瀬寛夫(株式会社 岡田新一設計事務所)、熊谷英樹(気仙沼図書館
元館長)、関戸塩 (琉球新報社)、河野哲也(立教大学)

最後の時間帯は日本語のプログラムに参加。哲学対話と地方創生についての実践報告を聞く。地方で活動するひとりとして、それぞれの報告を興味深く聞いた。

この発表でICPICのメインプログラムは全て終了。終了後も久しぶりに会う人と話したり食事に行くなどした。

ポストカンファレンス

翌日のポストカンファレンスは”Philosophy with Children and Teacher Education” (edited by Arie Kizel, forthcoming in Routledge, October 2022)の各章について、著者たちが発表するというものだった。一応接続していたが流し聞きだったので内容は割愛。

おわりに

ということでICPICの全日程が終了した。海外の実践、特にスペイン・ポルトガル語圏の実践の様子や考えの片鱗を知れたのがとても大きな収穫だった。次回ICPICはドイツ開催ということで、オンライン参加も可能になるかもしれないのでチェックしておきたい。

ICPIC2022体験記その3:メイン・カンファレンス2日目

ICPICメインカンファレンス2日目の振り返りです。過去の記事はこちらから。

Keynote2

中岡成文氏「子どもとはだれ?哲学対話とはなに?」

2日目は中岡さんの基調講演から開始。自分の中の「こども」に焦点を当てる内容で、この後の他のセッションでも海外の発表者が度々言及していたことを覚えている。

Session5:Room E

この時間帯は興味深いプログラムばかりで目移りした。是非他のプログラムの様子も知りたいところ。

タイトル:Paulo Freire revisited: Critical and creative dialogue with Walter Omar Kohan

発表者:Kei, Nishiyama (Doshisha University), Kohan, Walter ( the State University of Rio de Janeiro), Rose-Anne
Reynolds (University of Cape Town), Yohsuke, Tsuchiya (Kaichi International University), Minori Goto
(The University of Tokyo), Rei Nagai (St Sophia University), Arie Kizel (University of Haifa), Maria
Teresa de la Garza (The National University of Mexico)

Kohanさんがパウロフレイレについて書いた新刊についての書評会的なシンポジウム。

フレイレの『被抑圧者の教育学』に自分は強く影響を受けているので、このセッションはとても楽しみにしていた。『被抑圧者の教育学』には「こども」の話はほぼ出てこないにも関わらず、Kohanさんが本に「Childhood」のチャプターを設けていることはとても興味深い。どのようにフレイレの思想とp4cを結びつけているのか、当日はあまり時間がなく十分に語られてないように思えたので、ぜひ本を読んでみたいと思った。(とりあえず本は注文した)

各コメンテーターの問いも非常に興味深かったが、新自由主義的な社会と教育に関する土屋さんのコメントは私も共感する部分が大きかった。従来の預金型教育とは異なり、近年の教育は「主体的に考えよ」「探究せよ」「対話せよ」と迫っているが、また別の抑圧の形をとっているのではないかということだ。

企業においてもワークショップやファシリテーションの技術、心理的安全性や対話の文化が「生産性をあげる」ために取り入れられている。牧野智和氏は『ファシリテーションとは何か』の中でこの流行について考察しており、現代の資本主義では「反省性」すらも(フーコー的な意味で)「統治」の対象になっていると指摘している。フレイレは抑圧者が自らの文化やリアリティを被抑圧者に押し付けることを「文化侵略」として支配の一形態と位置付けたが、本来はそれに対抗するものであった「対話」や「探究」が、新自由主義的な社会では文化侵略のツールとなりうることについてもっと自覚的でありたいと私は思う。

『被抑圧者の教育学』について、里見実さんのこちらの本もとてもおすすめなのでついでに紹介しておく。

Session6:Room D

タイトル:セクシュアリティ教育における哲学対話:西宮市立上甲子園中学校での実践
から
発表者:大矢莉代(西宮市立上甲子園中学校)、井倉幸起(西宮市立上甲子園中学校)、堀越耀介(東京大学大学院)、柏木睦月(東京大学大学院)

日本語で発表を聞いた数少ないプログラムの一つ。昼食が長引いてしまったので途中からの参加になってしまった。重要な取り組み事例だと思うし、努力されている先生方は尊敬する。その上で率直に書けば、学校というシステムの中で性的マイノリティに関わる「対話」をすることの危うさについて私はどうしても気になる。差別の問題について取り組まなくてはならないのは常に社会の側であり、私としてはそちらの取り組みに注力したいと思う。なお少し話はずれるが、日本で「性教育」を行うことのさまざまな制約については今回初めて詳しく聞くことができ、なんとも暗い気持ちになった。

Session7:Room H

タイトル:Learning to Listen, Asking the Children: Moral Issues in P4/WC
発表者:Kanako W. Ide (Soka University & University of Maryland)

P4/WCが教師と生徒のパワーバランスを克服できるか、特にマイノリティの声を聞くことに関する問題を扱った論考。先行研究がかなり紹介されており、自分は内容をフォローできていないためあまり理解できなかったが、重要な内容であったように思う。P4/WCの研究分野がここまで蓄積されていることについての驚きもあった。海外の論文もこの機会に読んでみたいと思えた。

タイトル:The power of caring in a community of inquiry
発表者:Masamichi Nakagawa (Kobe University Secondary School)

中川さんの発表。対話において「〇〇さん(名前)が言ったように…」など、名前の言及があることがケア的であることの表れだという主張は以前にも何度か聞いたような気がする。対話における名前の役割についてはもっと考えてみたいところ。

タイトル:Are we ready to listen to children?
発表者:Marcílio Provazi Pesci Filho - NICA-UAc, Daylane Soares Diniz - NICA-UAc, Ricardo Lino Silva Lopes Frias - NICA-Uac

この発表に興味がありこの部屋に入ったが、1日目の"Children's right to participation"と同様に、「こどもの声をいかに真剣に受け取るか」ということやこどもの政治参加への問題意識からp4cを論じるものだった。

この発表はとにかくプレゼンが面白かった。何が面白かったかというと、この部屋でそれまで交わされた言葉(発表や質疑)を参照していくような形でプレゼンが行われていたことだ。途中で撮影のためにスタッフが入室したことについても「listen」をめぐる考察の事例としてアドリブで言及しており、単純にすごいなと思った。しかし(おそらくアドリブのせいで)スライドが半分ぐらいで時間切れになってしまった(笑)残念だが心に残る発表だった。

Session8:Room D

タイトル:10 Years of Innovation at the University of Hawaiʻi at Mānoa Uehiro Academy for Philosophy and Ethics in Education
発表者:Thomas Jackson (University of Hawaiʻi at Mānoa) Benjamin Lukey (University of Hawaiʻi at Mānoa)Amber Makaiau (University of Hawaiʻi at Mānoa) Chad Miller (University of Hawaiʻi at Mānoa)Thomas Yos (University of Hawaiʻi at Mānoa)

ハワイのp4cの取り組みについて総括的に振り返るシンポジウム。かなり多くの方が参加していたので報告は別の方に任せることにする…

(おわり)

ICPIC2022体験記その2:メイン・カンファレンス1日目

ICPIC開催からだいぶ経ってしまったが、振り返りを残しておこうと思う。まずはメインカンファレンスの1日目。

スケジュール(勝手に日本語訳したもの)

Session1:Room H

タイトル:Children's right to participation: challenges from the Philosophy of
Childhood

発表者:Matos, S. (NICA-UAc (Interdisciplinary Nucleus for Children and Adolescents, University of the Azores)& Vieira, P. A. (NICA-UAc (Interdisciplinary Nucleus for Children and Adolescents, University of theAzores); NEFI – UERJ (Philosophies and Childhood Nucleus of Study, Federal University of Rio de Janeiro; Armando Côrtes-Rodrigues Secondary School (Azores, Portugal).

ポルトガルからのオンライン発表。後で調べたがアゾレス大学のあるアゾレス諸島は本土からかなり遠い離島で魅力的な場所みたいだった。

発表のテーマは「こどもの政治参加」。「こどもの権利条約」(1989)や国連の「こどもの権利委員会」(2009)においては、こどもが自身の関わる事柄について自由に発言する権利や、政治プロセスへの参加の権利が認められている。しかし、実際には選挙権に年齢制限が設けられているなど、こどもの政治参加は制限されている場合が多い。これを年齢主義や成人主義に基づく世代間不公正と考え、いかにしてこどもの政治参加を実現するか、そのためにp4cは何ができるかというのが発表者の関心のようだった。発表ではこどもの政治参加を推進する立場と抑制する立場の2人による架空の対話が海岸線に打ち寄せる波のアナロジーを用いて紹介されていた。

発表は時間の関係で理念的な部分の紹介にとどまっていたが、日本のp4cではあまり議論されていない(ように思える)こどもと大人の不公正に対する問題意識が強く感じられた。ICPIC全体を通じてポルトガルスペイン語圏の実践者の発表には同様の意識を感じる場面が多く、各国でのp4cの位置付けの違いを感じることになった。

タイトル:Countering Hate Speech: Philosophical Inquiry as a Tool to
Deconstruct Stereotypical and Prejudicial Thinking in Children.
発表者:Maria Miraglia

全プログラム中で最も関心のある発表の1つだったのだが、残念ながら発表者があらわれず流れてしまった…海外は深夜なのでやむなしか。要旨集をみると、p4cがヘイトスピーチの根底にある偏見やステレオタイプの形成にいかに有効なのか、実際の教材や実践内容を含め紹介する内容のようだった。資料が欲しいところ。

タイトル:Democratizing the Classroom: Realizing Kant’s Kingdom of Ends
through Lipman’s Community of Inquiry

発表者:Keisha Christle A. Abog (University of the Philippines)

リップマンの思想とカントの「目的の王国」がどのように接続されるか、という発表。両者の関連性を明確に論じた人はまだいない、という言い方がされていたのが意外だった。リップマン研究をあまり知らないのでコメントできないが、探求の共同体や哲学対話と「目的の王国」は直感的にもかなり親和性があると思える。最近だと寺田俊朗さんや中川雅道さんも『哲学対話と教育』のなかでカントについて言及している。

Session2:Room E

スペイン語圏の実践の興味があり、思い切ってスペイン語の部屋に突撃してみることにした。(スペイン語はHolaとGraciasぐらいしかわからない)

タイトル:Ciudadanía creativa para la construcción de paz de las infancias en
contextos de vulnerabilidad

発表者:Víctor Andrés Rojas (Corporación universitaria Minuto de Dios - UNIMINUTO), Alejandra Herrero Hernández (Corporación universitaria Minuto de Dios - UNIMINUTO), Linda Gallo Bohorques(Corporación universitaria Minuto de Dios - UNIMINUTO), Zaily García del Pilar Gutierrez (Corporación universitaria Minuto de Dios - UNIMINUTO)

DeepL翻訳によると発表タイトルは「困難な状況にあるこどもたちの平和構築のためのクリエイティブ・シティズンシップ」。コロンビア・ボコタでの実践についての発表で、なんと英語にも通訳してくれた!ありがたい、

ウィキペディアなどによると、ボコタは1990年代には世界で最も暴力的な都市と言われ犯罪率の高い都市だったようで、改善のために様々な取り組みが行われているようだ。こどもも幼少期から多くの暴力に晒されていることが想像できるが、今回の発表は暴力ではなく対話を強化することを目的に、地域の幼稚園や教会、図書館、文化センターなどが連携して行っている教育プロジェクトの紹介だった。

p4cはそのプロジェクトの中で行われているが、興味深かったのは、p4cが一部の施設で閉じて開催されるのではなく、さまざまな地域のアクターと連携しながら実施され、かつその後のいくつかのアクションに結び付けられているということだ。マイクロプロジェクトと位置付けられた活動では、例えばこどもたちが自分達の幼稚園の庭の環境を改善するために、地域住民への協力要請(ポイ捨てをしないなど)などの活動を連携して行っていたりするそうだ。美術館と連携し、作品の制作や展示なども行われている事例の紹介もあった。対話の場を作るだけで終わらせず、課題の設定、対話の場の準備やその後のアクションまで連携して、一連のプロセスとしてp4cの実践が行われていることに感銘を受け、印象に残る発表だった。

発表タイトル:Empoderando a la niñez rural para el diálogo democrático en Perú
発表者:Yina Rivera Brios (Pontificia Universidad Católica del Perú

「ペルーの農村の子どもたちに対する民主的な対話へのエンパワメント」というタイトルで、フレイレの実践との関連に関心があったのだがこちらも発表者不在で流れてしまった。残念。

Session3:Room D

この辺から英語のリスニング能力がキャパを超えてしまい発表の内容があまり理解できなくなる…二日目以降は日本語の発表も挟むことを決意。

タイトル:Philosophy with Matter? Philosophy that matters?
Attending to neurodiversity in communities of enquiries
発表者:Sumaya Babamia (University of Cape Town)

自閉症の子どもたちの対話実践についての発表。言語志向が支配的な探究の共同体の理論では排除されがちな要素を掬い上げるために、理論的背景としてポスト・ヒューマニズムの批評的アプローチが用いられ、物質のもつ役割を再評価しようという内容だった(と思う。十分理解できなかった)絵やさまざまなモノを用いた実践の様子が紹介されていた。対話におけるモノの役割については非常に関心があり、自分にとっても一つのテーマなので、機会があればこの方の研究をもう少しきちんとフォローしてみたいと思う。

タイトル:Polylogical Processmodel of Elementaryphilosophical Education
発表者:Andreas Höller

P4Cの教育理論を学際的に拡張しようという発表。具体的には未就学児、小学生、ティーンエイジャーなどステージを細分化し、それぞれの段階で心理学などの他の分野の知見も取り入れつつプログラムを構成しようという趣旨だと理解した。フロアからは未就学児とティーンネイジャーの哲学教育をどう区別するのか(本質的に同じことでは?)、などの質問があったように記憶している。

タイトル:School Education as “shadowing”: Implications and Opportunities
発表者:Shechter Roni ( Haifa University), Kizel Arie (haifa university)

この発表内容がどうしても思い出せない…割愛

Session4:Room G

最後はワークショップの時間。体力の限界に近づいてきたので気軽に参加できそうな馬場さんのWSを選んだ。

タイトル:Philosophical Life Story Game
発表者:Tomokazu BABA (The University of Nagano)

過去に連絡会などでも実施されていた「哲学人生すごろく」の英語版。実際に遊ぶのは今回が初めてだったが、用意されている質問もうまくできていてとても楽しかった。英語版は英語教育などにも活用できそう。

Keynote 1

Oriza Hirata, "Theater and Dialogue"/平田オリザ氏「演劇と対話」

過去大阪大学のワークショップデザイナー養成プログラムに参加しており、そこで平田オリザ氏の講義を受けていたので、懐かしく聞いた。いま改めて内容を聞くと、演劇の中に現在の社会のジェンダーロールや社会構造を反映させることに対するジレンマのようなものも読み取れ、自分の考え方の変化も感じることになった。

哲学カフェを始めたころ、平田氏の著作をいくつか読んだ。講演の内容の参考になるものも多いので挙げておく。

(おわり)

ICPIC2022体験記その1:プレカンファレンス・ワークショップ

東京で来週から開催される「子どもの哲学国際学会(ICPIC2022)」に参加する予定。

icpictokyo.jp

本大会に先立ち8月5日・6日と行われたプレ企画にも参加したので、その様子を書いておこうと思う。parkさんの企画も少し覗くことができたが、とりあえずKohanさんのものだけ。(後で追記するかも)

Walter Omar Kohan氏のワークショップ

ブラジルの哲学者Walter Omar Kohan氏のワークショップに二日間通して参加した。

ワークショップのタイトルは"Can we experience together a philosophically childlike pedagogy of the question?"、日本語訳すると「哲学的でこども的な問いの教育法を共に体験できるだろうか?」という感じだろうか。

ワークショップは基本的に英語で実施されたが、英語があまり理解できない日本語話者やスペイン語話者が参加していたため、ワークショップは都度丁寧に3ヶ国語に翻訳される形になった。(私も英語は不慣れなので正直助かった)後述するようにこの対応に至る流れが非常に自然で、Kohan氏の姿勢をとても良く表しているように思えた。

セッションの流れは以下のようなものだった。

1日目

自己紹介&問いの共有

問いは自らの現在(present)を表現すると同時に、この場にいる人たちへの贈り物(present)でもあるということが冒頭にkohanさんから述べられた。セッションの初めは全員が自分の名前を紹介すると共に、この場にpresentする問いを発表していった。

これ以降ワークショップの最後まで、基本的に参加者が行ったのは「問いを出す」ことだけであり、他の人の問いに直接答えるということはなかった。ただし、ある人が問いを発表すると、それに共鳴する問いを他の参加者が次々と発表していき、それがとても応答的なプロセスになっていることが興味深かった。kohanさんもそれぞれの問いを別の形で言い換えたり、新たな問いを付け加える形でコメントしていた。

他の参加者の問いの掲載は控えようと思うが、自分が出した問いは"When questions come to us?"だった。これは他の人の問いを聞いて浮かんだ問いでもある。

問いをcombineする

ようやく準備が整ったということで、WSのテーマである"childlike question"に関連する問いをつくるセッションに移った。自分の問いを隣の参加者に渡し、その人がその問いに関する新たな問いを付け加える。最後に、付け加えられた問いと自分の問いを合体させて一つの問いにする、という流れだった。

自分が最初に出した問い

What is the difference between childlike questions and adult's questions?

隣の参加者が付け加えた問い

Why should we think that they are different?

combineさせた問い

Is it really defferent childlike questions and adult's questions?

参加者全員でcombineした問いを共有し、1日目は終了した。

2日目

昨日何をしていたのかを1語で表す

前日の振り返りということで、昨日私たちが何をしていたのかを動詞1語で表すことになった。非常に多様な動詞が提案され、それぞれとても興味深かった。私は"combining"を選んだ。問いを結合させるという作業を行っただけでなく、セッション全体を通して自分の問いを参加者の問いが合わさっていくような感覚があったからだ。

動詞を使って問いを作る

参加者から出された動詞のリストの中から2語以上をつかって問いを作ることになった。私の作った問いは以下のようなものだった。(""が参加者から出た動詞)

Does "translating" always "include" "reapeating"?

問いをcombineする

参加者でペアを作り、話し合いながらそれぞれの問いを1つの問いにcombineする作業を行なった。それぞれが問いたかったことを聞き合うことで、異質なように見える問いを1つの問いにしていく過程がとても面白かった。

今回は時間がなかったため1ペアの実施で終わったが、時間があればcombineされた問い同士をさらにcombineし…という感じで最終的に1つの問いを作ることも行うという。さらにその1つの問いを、逆に参加者一人一人の個別の問いに再度分割していくこともあるとのことだった。

問いを共有する

ワークショップの締めくくりとして、最後に参加者と共有したい問いをそれぞれが発表して終わった。私が最後に出した問いは"Why one's question effects other questions?"、まさにセッション全体を通して感じた不思議な感覚についての問いだった。

感想

改めて文字にすると「え、これだけ?」という感じで、やった内容自体は全然少なかったが、体感としてはとても充実した時間だった。

まず、それぞれのセッションがとてもゆっくり、時間をかけて行われていた。特に翻訳については元々は英語のみのセッションの予定だったが、参加者やスタッフで協力しつつ3ヶ国語に丁寧に翻訳する形になった。英語に不慣れな参加者が教室に来た際のkohan氏の対応がとても自然で、しっかりと席を設け、「配慮」というよりもwelcomeするという姿勢が滲み出ていた。2日目のセッションでは1日目に参加していなかった人も参加していたが、この人に対しても同じような姿勢だったように思える。

kohan氏が途中で語っていたが、翻訳するというのは時間を無駄にすることではなく、むしろ同じ問いを繰り返して聴くことでゆっくりと考える時間が取れ、重要な行為だとkohan氏自身改めて気づいたとのことだった。翻訳というのはpoliticalな行為でもあり、時間やリソースを理由に対話の場から排除しないようにすることだ、と別の参加者もコメントしていた。実際、今回のワークショップ参加者には英語を母国語にする人が1人も参加しておらず、その観点でも翻訳という行為と「共に考えること」のつながりを考える上で非常に示唆的な体験だったように感じる。

また、セッションを通して「問い」に答えることは行われなかったと書いたが、誰かの出した問いについて、kohan氏や参加者が都度自分の関心と引きつけてコメントすることは何度もあった。コメントの内容自体も興味深いものばかりだったが、出された問いが「問いっぱなし」ではなく丁寧に場で扱われているように感じ、そのことも充実した時間だと感じた要素の一つだと思う。

日本語で哲学対話を行う際に、果たしてこれほどゆっくり丁寧に考えられているだろうか?「翻訳する」という体験を日本語のみの場でも応用できないか?そんなことを考えさせる非常に有意義な時間だったと思う。参加してよかった。

kohan氏は今回理論については語らなかったが、本大会でもいくつか発表に登壇する予定で、その話も聞いてみたいと思った。特にフレイレについての発表があるとのことで楽しみにしている。

(終わり)

「てつさんぽ」開催記録

先日「てつさんぽ」というワークショップを開催したので記録を残そうと思う。
このワークショップはピーター・ハーテロー氏が考案した「哲学ウォーク」をベースにしたもので、いくつかのアレンジを加えてある。

ハーテロー氏が日本で実施した哲学ウォークについて書いた論文はこちら。

哲学ウォークは「哲学者の言葉からの引用文をくじで引く」ということでおなじみになっている感があるが、この論文を読むとわかるように、はじめはハーテロー氏は引用文を用いていなかったようだ。

かつて私が哲学ウォークを始めたときは,こうした引用文を手に取る方法は用いませんでしたが,それはあまり満足のいくものではありませんでした。というのは,こうした引用文を使用しない哲学ウォークは,しばしば参加者がその場所に対して自分の考えをただただ提示するという,哲学的な内容に欠けたものとなってしまったからです。そのようなウォークはほとんどコーチング・セッションやセラピーのようなもので,私の意図とはかなり異なるものでした。
これに加えて個別的なコンサルティングの場合も引用文は用いられないという。ハーテロー氏のいう「哲学的な内容」がこの場合何を指すのかについてはこの論文では明言はされていないが、引用文を与えられた参加者は「その背後にある最も重要なコンセプト(概念)を探し出す」ことが求められているため、概念化(conceptualization)が重視されているだろうと思われる。引用文にマッチする風景をただ見つけるだけでは不十分で、概念化という作業を通じた自分自身との対話(inner dialogue)が必要だということかもしれない。
 
今回の「てつさんぽ」は引用文を使用しない形式で行なってみた。引用文の代わりに共通の「問い」を設定しても成り立つのかということを確認するためだ。また、もう一つの狙いとして最後のディスカッションの効果を確認するというものがあった。ハーテローのやり方では最後にディスカッションによってコンセプト間のつながりや「ナラティブの抽象化」が意図されているが、これまで参加したものや私が過去に開催したものでは時間の都合上その部分が省略されがちだったため、よい良い形がないか検討したいという思いがあった。

当日の様子

今回は京都市の大宮交通公園をコースに選び、問いを「自然との共生とは何か?」にした。*1「自然との共生」は大宮交通公園のキーワードにもなっている。
当日の参加者には問いに対してのコンセプトを考えてもらい、それに合う風景を探してもらった。その他の基本的な流れは哲学ウォークと同じで、コースを歩く際は無言で歩き、風景とコンセプトの発表後は他の参加者に質問をしてもらう。発表者はその質問の中から最も考えたいものを一つ選び、残りの散策ではその質問について考える。
参加者から発表されたコンセプトと風景は次のようなもので、それぞれ興味深かった。

「食うか食われるか」

「ノスタルジー

「いま」

「進化」

「不自然」

「不可逆」
コースの散策後、他の参加者からの質問に対して考えたことを発表し、最後にディスカッションの時間をとった。今回は共通の「問い」を設定していることから、問いに対する「答え」を共同で作ることを試みた。具体的には参加者の出したコンセプトを全て使用し、全員が合意できるセンテンスを考える作業を行なった。この過程によって一人で考えた個別のコンセプト同士のつながりについて考え、共同で探究することにつながるのではないかという意図があった。残念ながら時間が十分取れなかったため途中で終わってしまうことになったが、ディスカッションの中では、以下のようにいくつかの文章が完成した。
・自然との共生とは、進化を受け入れることで可能になるが、それは退化ともよべるものである。
・自然との共生にはノスタルジーの感情が関わる。それは昔といまの相違から生まれるが、不可逆な状態を元に戻そうとする人間の行為は不自然なものとなる。
・自然との共生は食うか食われるかという関係であるが、それは食いつつ食われるという(相互的な)関係でもある。

やってみて

今回は哲学者の名言を用いなかったが、「コンセプトをつくる」という認識がしっかりと共有されていれば、テーマや問いを設定するだけでも十分に成り立つのではと感じた。哲学者の言葉を用いることのメリットは確かにあるが、状況によっては準備しづらい場合もありそうなので、今回のやり方は今後の参考にできるように思う。

最後のディスカッションについては哲学カフェのようにオープンな議論によってコンセプト同士のつながりを検討することも考えたが、今回のように共同で答えを作る作業をした方が、それまでの内面の対話(inner dialogue)から他者との対話 (outer dialogue)に明確に切り替わるプロセスとして有効であるように感じた。今回の実施時間は合計で2時間だったが、次回はもう少し時間を伸ばしてディスカッションをじっくり行なってみたい。

(おわり)

*1:公園内でイベントを実施する際は申請が必要な場合があるので、事前に公園側に問い合わせをしておいた方がよい。

日々の断想(1/24〜1/30)

カレー合宿

カレーZINE編集部メンバーで合宿を行った。

カレーのZINEとアナログゲームの検討をしつつ、合間にカレーを食べて回るという非常にストイックな日程だった。終わったらどっと疲れて、こんなに真面目に遊んだのは久しぶりかもしれない。遊びには没入が必要だということを改めて実感した。

合宿中の全ての出来事が伏線として繋がっているような気がして、今後の展開が楽しみ。

写真はドーサ。

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日々の断想(1/17〜1/23)

バタバタ続きで書くのが遅れてしまいました…今回はサウナ回。

サウナトークイベント

こちらのイベントに参加。サウナ文化研究家のこばやしあやなさんに直接会える貴重な機会ということで迷わず申し込んだ。

book.gakugei-pub.co.jp

会場は話題の「ぎょうざ湯」。貸切の銭湯がついているという異色の餃子屋さんである。

www.nakajimagyoza.com

当日はぎょうざ湯を見学した後、ぎょうざ湯ができた経緯などについての話を聞いた。中を見学できただけでも大興奮で価値のある時間だった。街中に温浴施設を作る際の苦労や、仕掛け人の情熱を伺うことができた。

イベント終了後にこばやしあやなさんから書籍を購入、サインももらった。ゆっくり読む予定。

前著はとても面白かったので記事も書いた。

hare-tetsu.hatenablog.com

北欧のコミュニティデザインを学ぶ

年々北欧に対する憧れが強まっている。(インドやスリランカもだけど)

特にフィンランドはサウナやカフェ、オープンダイアローグなど、自分の関心に近いものばかりで、何かあるのではという思いにさせられる。

そんな中でこちらのイベントに参加。

elama.be

事例で紹介されていたデンマークのコミュニティレストラン「アブサロン」は初めて知ったが非常に印象に残った。知らない人も含めて8名揃わないと案内されず、8名で食卓を囲むシステムが楽しそうでとても良いと思った。あと北欧の照明の話(日本は明るすぎ)も興味深かった。

自分もいくつかの場をつくりつつあるが、自分は何を求めているのだろうか。そんなことを改めて考える良い時間だった。