「哲学カフェ」と「哲学対話」を使い分けてみる、という話

最近はイベントの種類によって「哲学カフェ」と「哲学対話」という言葉を使い分けるようにしています。これはどう見てもカフェっぽくない場所で「哲学カフェ」を名乗ることに抵抗がある、という素朴な考えからはじまっているのですが、最近は少し踏み込んで、探究の場がどのような性質を持っているのか、ということに関心を持つようになりました。

場を分類するための軸はいくつか設定できると思うのですが、例えば探究が行われる場所が「コミュニティ」としてどのような性質を持つのかという観点から分類すると、現在の多様化する哲学対話の状況を俯瞰する上で、わりと見通しがよくなるのではと考えています。その性質は3つあって、「Community Free」「Community Based」そして「Community Making」と仮に名付けたいと思います。

Community Free:特定のコミュニティの中で行われるのではなく、またコミュニティの形成を志向しない探究の場。都市で行われる哲学カフェのように、誰でもオープンに出入りできて、その場で初めて出会う人々と議論を楽しむような場所が該当する。

Community Based:「すでに出来上がっている」コミュニティの中で行われ、そのコミュニティの性質を変えていくような志向を持つ探究の場。学校で行われるP4Cが典型的に該当する。

Community Making:特定のコミュニティを前提としないものの、探究を通じて人間関係やコミュニティの形成を目指すような場。サークル的な活動が該当する。

これらの性質は「主催者がどのような場にしたいか」という意図だけで決まるのではなく、むしろ探究が行われる場が持つもともとの特性に影響される面が大きいと感じます。例えば、一期一会的な出会いの場で行われる探究は主催者の意図に関わらずCommunity Free的になっていくのではないかと思います。逆に主催者がイベントを開催する場所を選ぶときは、自分の意図と近い性質を持った場所を(ときには知らず知らずのうちに)選んでいるのではないでしょうか、

なお、上記の性質に応じて、探究の場で重視される態度も変わってくると私は考えてます。日本で主流となっている感のあるSafetyを重視する態度は、Community Basedな場で行われる探究の場合に最も必要とされると思いますが、その他の場所では違った態度が重視されてもよいのではと思います。(例えば相手を「信頼」して、しっかりと批判することなど)

冒頭の話に戻ると、自分が「哲学カフェ」や「哲学Bar」と名付けているのはCommunity Freeな場で行う場合であり、お互いの顔をすでに知っているような人たちと行う地域密着型の探究は「哲学対話」とよんでいます。自分の開催しているところでCommunity Makingな場と言えるものがあるかは微妙ですが。

こうやって使い分けた方が自分としてはしっくりくる、という話でした。