はれ ときどき てつがく。

ちいさな「てつがくする」をさがして

哲学カフェはなぜ「カフェ」なのかー「カフェ性」の探究へ③

過去二回に続いて、カフェの話。

hare-tetsu.hatenablog.com

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前回カフェの歴史をごくごく簡単に紹介したが、「カフェ」は歴史的にみても「市民の社交場」として、立場や肩書きに関係のない議論の場として機能していた。多くの哲学カフェは「カフェ的な雰囲気」を大事にするが、それはカフェの持つこのような歴史的経緯を踏まえてのことだろう。今回は「カフェ」という場のもつ機能について、もう少し考えていきたい。

カフェにある4つの自由

カフェという場の持つ機能について研究した書として、飯田美樹氏の「Caféから時代は創られる」がある。(残念だが現在Amazonでは買えない)

新版 Caf´eから時代は創られる

新版 Caf´eから時代は創られる

 

 この書の中で飯田氏はパリにおけるカフェ文化について考察しており、カフェという場で得られる自由を、次の4点に分けて論じている。以下に要約しよう。

・居続けられる自由

カフェにおいて、飲み物を頼むというのはその場に入るためのルールであって、客は飲み物を飲むことだけを目的としてくるとは限らない。カフェという場は他の公的な空間と違い、合目的性が追求されない不思議な空間である。一杯の飲み物代さえ払えば、好きなだけ本を読んでもいいし、友人と語ってもいいし、物思いにふけってもよい。

また、一杯の飲み物代を払うことで、カフェに通う人は「お客」として身分を保障される。劇場やレストランに通うのにはお金もかかるし、ドレスコードや振る舞い方も要求されるが、カフェにおいては社会的身分がなくても、一人の客としての立場を得ることができる。そして、カフェという場にいる各人は「客」という立場で同等の権利を持ち、平等に居続けることができるのである。

・思想の自由

特定の身分に限定されずに自由な議論が生まれていった場として、ヨーロッパではカフェとサロンがよく取り上げられる。ただ、当時のサロンは主人(典型的には女主人)が私的に人を呼び開く場(多くは無償)であったのに対し、カフェはあくまで店であり、商売としての場であった。

サロンもカフェも参加者が平等であるという点においてはほとんど変わらないものの、当時のサロンの議論においてはどうしても話題に主人の意向が反映され、参加者も主人に気を遣うため、自由な議論が妨げられてしまったという。同書ではサロンに出席した後に、公園などで心おきなく哲学的な議論をしていた参加者たちの例が取り上げられている。

一方、カフェの主人と客の間には(すでにお金を払っているので)そのように気を遣う関係はない。またカフェの主人は商売のために客にとって居心地の良い空間をつくろうとするため、話題を制限したりはしない。そのためカフェにおいては、参加者がより自由に議論することができた。

・時間的束縛からの自由

ヨーロッパのカフェの多くは朝早くから夜遅くまで営業しており、時間を気にせずいつでも行くことができた。夜しか営業していないバーとは違い、カフェは昼間に居るべき場所を探している者たちの溜まり場になる。カフェに行けば知り合いと会う可能性もあり、また偶然の出会いもあるかもしれない。少なくとも主人やギャルソンとは会話できる。そのため、カフェは誰かと話したいときや、気分が落ち込んだとき、暇なときなどいつでも気軽に行き、誰かと少しでも話すことが可能であった。

・振る舞いの自由

上述したように、カフェという場には一杯の飲み物を頼むというルールしかなく、あとはどのように振舞おうが基本的には客の自由である。カフェにはレストランやお茶会とは違い、場に振舞うべきコードが(ほぼ)存在していない。そのため、人々は思い思いに自由に過ごすことができる。自分が話したくなければ誰とも話さなくてよく、逆に誰か話しかけてよさそうな人に声をかけることもできる。カフェにおいてはお客同士の完全な自主性による自由があることがわかる。もちろん全てのカフェがこのような場であったわけではないが、このように自由が保障されており、居心地の良いカフェは日常生活からの「避難所」になっていた。

上記にみてきたように、カフェという場には振舞うべき特定のコードはないものの、上記の4点の自由をもつ場としての特性がある。これらの特性(カフェ性)を逆に「カフェのコード」と名付けてみたい。

哲学カフェのルールと「カフェのコード」

ここで哲学カフェに話を戻すと、この「カフェのコード」は多くの哲学カフェが掲げる「大切にしていること」や「ルール」と共通している点があることがわかる。現在、哲学カフェの多くは時間が決まっているイベントになっており、残念ながら「時間的束縛からの自由」があるとは言えないものの、下記のような点は共通するのではないだろうか。

・参加者が平等である

・何を話してもよい(発言が誰かの意向で制限されない)

・無理に発言しなくてもよい

・日常生活から解放される

哲学カフェで説明される「大切にしていること」や「ルール」は、より安心できる場であったり、より良い議論や対話をするために設定されている。もう少しざっくりまとめると、よりよい「探究の場」をつくるために設定されていると言ってもよいだろう。ここで、これらの多くが哲学カフェ特有のルールではなく、「カフェのコード」と共有されているという点を確認しておきたい。すなわち、よりよい探究の場をつくるために「カフェのコード」が大切とされる、ということである。

上記のことが当たり前のことだと思われる方もいると思うが、このような視点を持つ意味を次回にもう少し説明したい。

次回記事

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