日々の断想(12/6〜12/12)

年末感はない

記憶

12日、恵文社で開催されたこちらのイベントに参加。

note.com

ときおり笑いがありつつもしみじみとしたトーク内容だった。作品の中に食べ物が出てくるかどうか、という話が個人的には印象に残っていて、その人の生活と言葉の関係が透けて見えるようで興味深かった。大森さんの文章も今度読んでみたいと思う。

堀さんもそうだが、いろんな人のエッセイを読んでいると、こどもの頃も含めて過去のエピソードが鮮明に描かれていて、よくそんなに昔のことを覚えているなぁといつも思う。自分はそこまで過去の出来事を覚えていなくて、単に記憶力の違いだろうか…と思っていたが、少し違うかもしれないと思いはじめた。 

同時期に読んでいたさよなら、男社会。そこでも男性性を考える上で過去のエピソードが鮮明に描かれていたが、同時に自分の過去と対話をすることの重要性が語られていた。

もしも男性が女性の置かれている立場について考え、この社会の仕組みについて変革を試みたいと思うのであれば、まず対話すべきは外の世界にいる彼女たちではない。自身からスプリットした自分という他者と対話する必要があるはずだ。分割したのがいくつのときかはわからないが、スプリットは子供の頃に始まったはずだ。僕らは男性性の獲得の名のもとに子供の頃の自分に対して犠牲を強いてきた。自分の心の底にうずくまる彼らこそが男性性の問題を身をもって体験している。

雄大. さよなら、男社会 (Japanese Edition) (pp.160-161). Kindle 版. 

筆者は男性性の獲得と、その過程で自分自身を抑圧することを重ねている。そのような男性にとって過去は触れたくないもの、忘れ去られるものとなるだろう。このことが私にも当てはまるとすれば、過去の出来事をあまり覚えていないことは、単に記憶力の問題ではないようにも思える。自分の過去と対話してみたいと思うが、文章を書くことはその助けになるかもしれない。

読んだ本

『さよなら、男社会』。今後折に触れて読み返したい本だった。

『せいいっぱいの悪口』。コメダ珈琲とマックの限定メニューの話が出てくるので親近感が湧くが、内容は胸に響く。

shizukahori.theshop.jp

レヴィナス入門』。レヴィナスについて今後学びたいと思い読んでみた。熊野さんの文体は以前から好きで、内容は難しいのに独特のやさしさを感じる。