日々の断想(11/29〜12/5)

三日(三週?)坊主になりかけてしまった。

問いと批判の受け入れ難さについて

「問い」は疑問文の形で表されるが、多くの場合修辞的に、つまり何かを本当に尋ねたいのではなく、ある主張を行うために使われている。例えば親が子どもに「どうして勉強しないの」と聞くような場合、それは理由を尋ねる質問ではなく、勉強をしなさいという命令の一種として使われる。このような経験が続くと、問いや質問を向けられるということは否定的なものとして身体に染み付いてしまうように思える。「批判」の場合はもっぱら「非難」の意味で使われていて、主張を吟味するという意味が失われてしまっている。問いと批判の意味を取り戻していくような活動が必要ではないかと感じている。

マイクロアグレッションのシンポジウムを聴いた話

週末に行われたマイクロアグレッションについてのシンポジウムを1日目だけ聴講。詳しく書くのは控えるが、登壇者の個人史的な語りに強く胸を打たれた。

dept.sophia.ac.jp

発表の中で、例えばシンガポールに観光で行った日本人が「英語上手ですね」と言われた場合マイクロアグレッションになるのか、という議論があった。発表者の方はマイクロアグレッションではないという考えで、私はこの話を聞いた時違和感があったが、その背景に差別的な社会構造があるのかという点で区別するという論拠を聞いて納得する部分があった。かなり状況や文脈に依存する微妙な問題だと思うが、単なるコミュニケーション上の(個別的な)不快と区別をしていくことも大事だと感じた。

読んでいる本

読了できていないが今週読んでいる本たち。