日々の断想(11/8〜11/14)

あまりブログを更新できていなかったので、週1ぐらいのペースで最近の出来事を書いていこうと思う。

「寄りあい」をした話

ある集まりで起きた問題を話し合うために1泊2日で「寄りあい」を行う。宮本常一の『忘れられた日本人』に描かれた、かつての村の寄りあいの様子に着想を得たものだ。

筆者は対馬に調査に訪れた際に、村に保管されていた古文書をしばらく拝借しようとした。村人が言うには、貸出を許すかどうかは村民で話し合わないといけないとのことで寄りあいが始まったという。

いってみると会場の中には板間に二十人ほどすわっており、外の樹の下に三人五人とかたまってうずくまったまま話しあって雑談をしているように見えたがそうではない。事情をきいてみると、村でとりきめをおこなうには、みんなの納得のいくまで何日でも話しあう。
この寄りあい方式は近頃はじまったものではない。村の申し合せ記録の古いものは二百年近いまえのものもある。それはのこっているものだけれどもそれ以前からも寄りあいはあったはずである。七十をこした老人の話ではその老人の子供の頃もやはりいまと同じようになされていたという。ただちがうところは、昔は腹がへったら家へたべにかえるというのでなく、家から誰かが弁当をもって来たものだそうで、それをたべて話をつづけ、夜になって話がきれないとその場へ寝る者もあり、おきて話して夜を明かす者もあり、結論がでるまでそれがつづいたそうである。といっても三日でたいていのむずかしい話もかたがついたという。気の長い話だが、とにかく無理はしなかった。みんなが納得のいくまではなしあった。だから結論が出ると、それはキチンと守らねばならなかった。話といっても理窟をいうのではない。一つの事柄について自分の知っているかぎりの関係ある事例をあげていくのである。話に花が咲くというのはこういう事なのであろう。
そういう場[村里の生活の場]での話しあいは今日のように論理づくめでは収拾のつかぬことになっていく場合が多かったと想像される。そういうところではたとえ話、すなわち自分たちのあるいて来、体験したことに事よせて話すのが、他人にも理解してもらいやすかったし、話す方もはなしやすかったに違いない。そして話の中にも冷却の時間をおいて、反対の意見が出れば出たで、しばらくそのままにしておき、そのうち賛成意見が出ると、また出たままにしておき、それについてみんなが考えあい、最後に最高責任者に決をとらせるのである。これならせまい村の中で毎日顔をつきあわせていても気まずい思いをすることはすくないであろう。と同時に寄りあいというものに権威のあったことがよくわかる。(「対馬にて」)

これは1950年代の話だそうが、かつての日本の村にこんな話し合いの場があったことに驚かされ、自分たちでも試してみることになった。

さすがに三日三晩の話し合いはできなかったが、ほぼ24時間、一緒に食事を食べ、疲れたら横になって眠り、用事があれば一旦抜けるなどしつつ、問題についていろいろな角度から話し合った。直接関係ない話もどんどん出る。普段の話し合いでは少し横道に逸れたと判断されるような話だが、不思議とそれらを聞いていると問題を同じ視点で眺められるようになってきたようにも思える。場に葛藤が生じても他の話を挟み、冷却できる時間があるのも大きい。たしかに三日も話し合えばたいていの話が合意に至れるのではないかと思った。いつか三日三晩の話し合いをしてみたい。

リペアカフェに行った話 

左京区でやっていた「For Cities Week 2021」のイベント。都市をテーマにした展示や活動が展示されており興味深かった。

www.forcities.org

友人がやっていた「リペアカフェ」に参加した。欧州で広がっている、壊れたモノを一緒に修理する集まりだ。

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自分は壊れた箸入れを持っていった。ロック部分の爪が取れて閉まらなくなってるが今でも使い続けている。

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友人と話しながらロックの仕組みを考える。ツメの代わりにその辺にある木片を側面に貼り付けるとロック感が戻り、きちんと閉まるようになった。

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ついついプラスチックを溶接するとか「元の形を再現する」ことを考えてしまっていたが、モノの構造を理解して新たな形を見出す体験はとても新鮮だった。修理をすることはモノとの付き合い方を考えるいい機会になると思った。

読んだ本

『13歳から知っておきたいLGBT+』を読む。LGBTQIA+の多くのアイデンティティと用語について詳しく、かつ慎重に紹介されていた。多くの用語(ラベル)が紹介されているが、そのラベルを用いる(あるいは避ける)人がどのようなことを考えているのか、その理由についても注意深く記載されており非常に勉強になる。

(おわり)