わたしはひとり でもあなたとふたり:苫野一徳『愛』

「南区DIY読書会」という集まりで愛 (講談社現代新書)の感想を発表したので加筆して掲載します。読書会主催のカサ・ルーデンスの情報はこちらから。

苫野一徳『愛』感想

「そこに愛はあるのか?」某CMではないが、こう問われると一瞬考えてしまう。

自分ではどれだけ愛を感じているつもりでも、この問いの前で立ち止まってしまうということがあるかもしれない。喜びや怒りを感じるとき、その感情自体を疑う、ということはあまりしないにもかかわらず、である。このことは、愛が一種の「理念」であることを示している。

筆者の苫野氏は、かつて全人類が互いに溶け合い、調和的に結ぼれあっているという強い啓示を受け、それを「人類愛」の真理とよんだ。しかし、その啓示は様々な理由で後に崩壊する。そのとき感じたものが本当に「愛」だったのか、そもそも「愛」とは何か。本書の探究はそこからはじまる。

本書では性愛や恋愛、子どもへの愛、神の愛などが検討されているが、いずれにも対象と自分が一体であると思う「合一感情」と、相手を独立したものとして尊重する「分離的尊重」が含まれる、と筆者は論じる。ただし、それらはいずれも「このわたし」のエゴイズムに回収される危険性を含んでいる、とも。

例えば恋愛においては、まずは相手への「自己ロマンの投影」とそれへの陶酔がある、と筆者はいう。自分の憧れや理想を現実世界に見出した「わたし」の喜び。それは「合一感情」かもしれないが、あくまで自分の中に相手を回収しようとする動きである。それが恋愛へと発展するには、相手を独立したものとして尊重する「分離的尊重」が必要になる。筆者はこの表れの例としてゲーテの詩を引いている。

東の国からはるばると

わたしの庭にうつされたこの銀杏の葉には

心あるひとをよろこばす

ひそかな意味がかくれています。

 

もともとこれは一枚の葉が

二つに分かれたものでしょうか。

それとも二枚がむすぼれ合って

ひとつに見えるものなのでしょうか。

 

この問いに答えようとして

わたしはほんとうの意味がわかりました。

わたしの詩を読むたびにお感じになりませんか

わたしはひとり でもあなたとふたりでいるのだと。

(『西東詩集』より「銀杏」小塩節訳)

「わたしはひとり でもあなたとふたり」。この表現はフロムが「共棲的結合」(服従や支配など)と成熟した愛とを区別している箇所と重なる。

共棲的結合とはおよそ対照的に、成熟した愛は、自分の全体性と個性を保ったままでの結合である。愛は、人間のなかにある能動的な力である。人をほかの人びとから隔てている壁をぶち破る力であり、人と人とを結びつける力である。愛によって、人は孤独感・孤立感を克服するが、依然として自分自身のままであり、自分の全体性を失わない。愛においては、二人が一人になり、しかも二人でありつづけるという、パラドックスが起きる。(フロム『愛するということ』より)

「二人が一人になり、しかも二人でありつづける」ことをフロムはパラドックスと表現したが、これが「何の矛盾もなく統合的に経験」されることに筆者は愛の本質をみる。

恋が一方的な感情であるのに対して、私たちは「恋愛」において、「合一」と「分離」の弁証法という理念的情念を相互の関係性において感じとるのだ。「恋愛」において、わたしたちは恋がそのような仕方で育て上げられているのを感じとるのだ。(p.141)

筆者は愛は育てあげられることで「存在意味の合一」と「絶対分離的尊重」に至り、「真の愛」になるとする。「存在意味の合一」とは、「相手が存在しなければ、わたしの存在意味もまた十全たり得ない(p.76)」とする確信であり、「絶対分離的尊重」とは、「このわたしに決して回収され得ない(p.77)」存在として対象をとらえることである。筆者はかつて自らが感じた「人類愛」には「絶対分離的尊重」がない点で真の愛ではなかった、と振り返る。

愛と客観性

本書で苫野は愛は「意志」であるとしている。愛への意志とは『「存在意味の合一」をわたしに与えるこの人を、しかし同時に、わたしとは絶対的に分離された存在として尊重しようとする意志(p.207)』である。「存在意味の合一」に比べ、「絶対分離的尊重」はそう容易く得られるものではないという。

さて、以前「知と愛」について西田の考えを取り上げたが、苫野は西田の愛についての考えには「絶対分離的尊重」の契機が驚くほど欠けている、としている。

フロムは『愛するということ』にて愛を技術であるとし、人格的な発達、ナルシシズムの克服の先にある「客観性」の獲得の必要性を説いているが、対象と自分を分離して尊重できるようになることもまた、愛にとっては必要ということになりそうである。愛と理性は何となく対立するように思っていたが、そうではないかもしれない。「愛」については今年も引き続き考えていきたい。

(おわり)

愛 (講談社現代新書)

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愛するということ 新訳版

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