日々の断想(1/10-1/16)

展文庫へ訪問

知人に誘われて訪問した変わった場所。

addspice.jp

狭い和室の中に所狭しと本が並んでおり、都市デザインなどに興味のある人には惹かれる蔵書があると思う。

気になった本をメモがわりに。

特に最後の本には「名著!」という付箋が貼ってあって、それがなければ手に取らなかったと思う。誰かに本をオススメしてもらうというのは他では得難い経験だ。

読んだ本

とある事情で星の王子さまを読む。昔読んだことがあるような気もするがほとんど覚えてなかった。とてつもなくすばらしい本だと思うのでおとなの人は全員読んだほうがいいと思う。ついでに『モモ』も。

(おわり)

日々の断想(12/27〜1/9)

本年もよろしくお願いいたします。

今年やりたいこと

いくつか新しいプロジェクトに取り組もうと思います。

  • よりよい「批判」について考えるプロジェクト
  • 哲学的な「旅」について検討するプロジェクト

詳細はまた改めて。

マインドマップを使ってみた

やっていることが多岐にわたって混乱しつつあるので、マインドマップで整理してみることにした。これまでTo do管理のしっくりくるやり方を見つけられずにいたが、今のところいい感じなのでもう少し試してみようと思う。

www.mindnode.com

新規の哲学カフェ

アンテルーム京都で「自然」をテーマに哲学カフェを開催した。この会場で行うのは今回が初めてだ。ホテルに併設されているギャラリーに展示されている作品に関連したテーマでの実施だったが、話すテーブルがギャラリーと離れていたので、作品から適度な距離感を持って探究ができたのではと思う。旅行者がテーブルの横を通っていく風景もよかった。

「自然」という日常的に使われる言葉に含まれる多様な意味についてじっくりと考える時間となった。当日考える時間がなかったが、育てられた野菜や果物はどこまでが自然といえるのか?という問いが個人的に興味深かった。

読んだ本

カレーZINEの原稿のリサーチ用に読んだ本。

カジュアルなレジャーと対比的に考えられるシリアスレジャーという考え方は面白く、社会貢献活動やまちづくりなども例として挙げられている。哲学カフェなどの活動にも当てはまるような射程の広い概念だと思う。

本書ではシリアスレジャーの例として性的マイノリティの方達の活動にも1章が割かれている。一緒にゲームするといったコミュニティや居場所づくりの活動は確かにレジャー的だと思うが、政策提言などの活動もシリアスレジャーに含めて論じられているのは正直少し危ういような印象があった。レジャーという概念を拡張したい意図はわかるが、社会運動的なものやアーレントの「活動」的なものまでレジャー概念に回収されてしまうことの危険性はあるように思える。

(おわり)

日々の断想(12/20〜12/26)

今年左上の親知らずを抜いたのですが、今後は反対側が生えてきました

びわこ哲学カフェ

雪の中での開催。「歴史の大切さとは?」というテーマで、記憶や思い出は歴史とよべるのか、など歴史の定義の議論が盛り上がった。今回は初めて参加する方が多かった。気づけば来年で開催10年を迎えるので何か変わったこともしてみたい。

愛について考えるイブ

クリスマスイブはとある読書会で、愛が話題になった。

愛についてはこれまでも関心がありいくつか記事も書いたが、また時間を置くと自分の考えが変わっていることに気づく。

hare-tetsu.hatenablog.com

hare-tetsu.hatenablog.com

読書会はフレイレに関するものだったが、対話と愛についての議論と、人間化についての議論の結びつきに今は共感するところが多い。相手を非人間化するという、気を抜くと陥ってしまう一瞬に抗い続けることが愛なのかな、と今では思っている。

(おわり)

日々の断想(12/13〜12/19)

一気に寒くなりました。

湖西を巡る

知人の縁で、先日哲学対話の仕事で訪れた高島をはじめ湖西(琵琶湖の西側)を巡る旅をした。今後新たな展開がありそうなよい時間だった。

Viwabiwaは前回のイベントでもお世話になり、実は今回3度目の訪問。相変わらずよい。

viwabiwa.com

高島のコワーキングスペースにも訪問。ちょうど交流会が開催されていて多くの出会いがあった。

takashimatime.com

びわ湖ハワイ化計画」を企んでいるRcafe。周辺のビーチが確かにハワイっぽい。

www.r-cafe.net

学生が中心となり運営するワークプレイスデザインの場。

ikiruba-project.studio.site

たくあんをつくるため大根が干してあった。インスタ映え

f:id:hare-tetsu:20211221220823j:plain

あれこれのイベント

週末は哲学対話関係のイベントが続いた。

土曜日。午前中は「哲学カフェについてモヤモヤする会」。今回は「参加者」がテーマだったが、「参加する」という意味がかなり多層にわたっていて複雑だったため、もう少し分解して考えてみたいと思った。後日記事を書いてみたい。

午後はビジネスと哲学がテーマのUTCPのトークイベントを視聴。セオ商事の仕事(メタフィジカルデザイン)が大変興味深く、もっと詳しく話を聞いてみたいと思わせる内容だった。デザイン思考もいずれ勉強してみたい。

日曜の夜はほぼ1年ぶりの哲学Bar。「期待と不安」について語り合った。期待と不安は裏返しの関係なのだろうか、予想や計画のリスクとどのような関係にあるのだろうか、などの話をした。お酒を飲みながらの会話ができるのは本当に楽しい時間だと再確認した。

読んでいる本

カレーZINE原稿の資料として読んでいる。

こちらも少しずつ読んでいるが重要な本だと思う。

(おわり)

日々の断想(12/6〜12/12)

年末感はない

記憶

12日、恵文社で開催されたこちらのイベントに参加。

note.com

ときおり笑いがありつつもしみじみとしたトーク内容だった。作品の中に食べ物が出てくるかどうか、という話が個人的には印象に残っていて、その人の生活と言葉の関係が透けて見えるようで興味深かった。大森さんの文章も今度読んでみたいと思う。

堀さんもそうだが、いろんな人のエッセイを読んでいると、こどもの頃も含めて過去のエピソードが鮮明に描かれていて、よくそんなに昔のことを覚えているなぁといつも思う。自分はそこまで過去の出来事を覚えていなくて、単に記憶力の違いだろうか…と思っていたが、少し違うかもしれないと思いはじめた。 

同時期に読んでいたさよなら、男社会。そこでも男性性を考える上で過去のエピソードが鮮明に描かれていたが、同時に自分の過去と対話をすることの重要性が語られていた。

もしも男性が女性の置かれている立場について考え、この社会の仕組みについて変革を試みたいと思うのであれば、まず対話すべきは外の世界にいる彼女たちではない。自身からスプリットした自分という他者と対話する必要があるはずだ。分割したのがいくつのときかはわからないが、スプリットは子供の頃に始まったはずだ。僕らは男性性の獲得の名のもとに子供の頃の自分に対して犠牲を強いてきた。自分の心の底にうずくまる彼らこそが男性性の問題を身をもって体験している。

雄大. さよなら、男社会 (Japanese Edition) (pp.160-161). Kindle 版. 

筆者は男性性の獲得と、その過程で自分自身を抑圧することを重ねている。そのような男性にとって過去は触れたくないもの、忘れ去られるものとなるだろう。このことが私にも当てはまるとすれば、過去の出来事をあまり覚えていないことは、単に記憶力の問題ではないようにも思える。自分の過去と対話してみたいと思うが、文章を書くことはその助けになるかもしれない。

読んだ本

『さよなら、男社会』。今後折に触れて読み返したい本だった。

『せいいっぱいの悪口』。コメダ珈琲とマックの限定メニューの話が出てくるので親近感が湧くが、内容は胸に響く。

shizukahori.theshop.jp

レヴィナス入門』。レヴィナスについて今後学びたいと思い読んでみた。熊野さんの文体は以前から好きで、内容は難しいのに独特のやさしさを感じる。

日々の断想(11/29〜12/5)

三日(三週?)坊主になりかけてしまった。

問いと批判の受け入れ難さについて

「問い」は疑問文の形で表されるが、多くの場合修辞的に、つまり何かを本当に尋ねたいのではなく、ある主張を行うために使われている。例えば親が子どもに「どうして勉強しないの」と聞くような場合、それは理由を尋ねる質問ではなく、勉強をしなさいという命令の一種として使われる。このような経験が続くと、問いや質問を向けられるということは否定的なものとして身体に染み付いてしまうように思える。「批判」の場合はもっぱら「非難」の意味で使われていて、主張を吟味するという意味が失われてしまっている。問いと批判の意味を取り戻していくような活動が必要ではないかと感じている。

マイクロアグレッションのシンポジウムを聴いた話

週末に行われたマイクロアグレッションについてのシンポジウムを1日目だけ聴講。詳しく書くのは控えるが、登壇者の個人史的な語りに強く胸を打たれた。

dept.sophia.ac.jp

発表の中で、例えばシンガポールに観光で行った日本人が「英語上手ですね」と言われた場合マイクロアグレッションになるのか、という議論があった。発表者の方はマイクロアグレッションではないという考えで、私はこの話を聞いた時違和感があったが、その背景に差別的な社会構造があるのかという点で区別するという論拠を聞いて納得する部分があった。かなり状況や文脈に依存する微妙な問題だと思うが、単なるコミュニケーション上の(個別的な)不快と区別をしていくことも大事だと感じた。

読んでいる本

読了できていないが今週読んでいる本たち。

 

 

日々の断想(11/22〜11/28)

日々の断想を書き始めて3週目。ぼちぼち続けようと思います。今週は短め。

あいさつについて

日曜に大津で哲学カフェを開催した。先月から対面で再開しているが、長らく参加していなかった方の姿も見えてなんだか嬉しくなった。

最近はテーマを当日決める形にして、選ばれなかったテーマから次回扱うテーマを選ぶ形をとっている。提案されたテーマはどれも興味深いものだった。

  • 歴史は大切なのか?
  • 教養は役に立つのか?
  • あいさつの役割とは?

今回は「あいさつの役割とは?」に決まった。「あいさつをしなければならないことに抵抗を覚える」という提案者の話を皮切りに、コミュニケーションとしての挨拶の役割や、コミュニティ形成と礼儀の関係、そこに潜む権力関係などを考える良い時間となった。

話の中で、登山の時は見知らぬ人でもすれ違ったら挨拶をする(しない人もいるけど)という話になり結構面白かった。同じような話で、犬の散歩をしている人同士だと見知らぬ人でも挨拶する、みたいなこともあると思うが、例えばランナー同士はあんまり挨拶しないような気もする。疲れていてそれどころじゃないのかもしれない。

今週読んだ本

今週はフリーランスの税金とか経理とかの実用書をkindleunlimitedで数冊読んだ。読み放題なのはこういう時に便利だ。内容は割愛…

(おわり)