日々の断想(11/15〜11/21)

すっかり寒くなりましたね。まだ部屋では暖房をつけずに頑張っています。

「クッキークリッカー」から学んだこと

「カレーのパースペクティブ」という、カレーと人間を哲学的に考える謎のプロジェクトがある。現在、年1回ペースで同人誌「カレーZINE」を発行している。

今回vol.3と並行して「カレーを題材にしたゲーム」を作ろうと計画しており、先週も打ち合わせをした、「カレーが人間を利用して増えていく(繁殖していく)面白さを表現できないか」ということで(何を言っているのかわからないかもしれないが)、参考として「クッキークリッカー」というゲームをプレイしてみる。以前からある有名なゲームのようだが知らなかった。

natto0wtr.web.fc2.com

ゲームとしてはシンプルで、クッキーをクリックしてひたすら枚数を増やしていくというもの。クッキーの枚数が増えるとクリックを自動化してくれる「カーソル」や、クッキーを焼いてくれる「グランマ」、クッキーを自動生産する「工場」などが購入でき、加速的に生産効率が上がっていく。

増えていくクッキーを眺めるのは面白いのだが、そのうちなんとも言えない虚無感というか、空恐ろしさのようなものを感じてきて、自分たちのやりたいこととは少し違うよね、という話になった。カレーが増えていく面白さというのは多分もっと別のところにあるのだ。このことがわかったのは収穫だった。

それにしてもこのクッキークリッカーというゲーム、随所にブラックユーモアが効いておりアイロニカルだ。クッキーが増えていくやり方は現代の大量生産体制そのものであり、クッキーが資本の比喩でないかと思わせる表現もところどころにある。昨今SDGsを学ぶためのゲームがたくさん開発されているが、これを遊んで感想を語り合う方がよっぽどいいのではと思ってしまった。

ちなみに日本で1年で生産されているクッキーの量を調べてみたところ、ビスケットとしては年間25万トン程度が生産されているようだ。ビスケット1枚は10g前後のものが多いので、日本だけで年間250億枚前後のビスケットが生産されていることになる。ゲームにでてくるクッキーの枚数は天文学的数値に思えるが、実際はそうでもないのかもしれない。

※「ビスケット」は元々クッキーを含む焼き菓子一般を指すが(上記リンクでも同様)日本では糖分と脂肪分の割合で表記が変えられているらしい。

news.mynavi.jp

滋賀・高島での哲学対話

依頼をいただき、滋賀県の高島で久々で対面での哲学対話を行う。コミュニティボールを使うのも本当に久しぶりで、みなさんが触ることに抵抗ないかも気にしながら進めていった。

内容はとりあえず伏せておくが、今回は他の目的があり集まった方に向けての対話だった。どのように進めれば哲学対話の良さがいかせて、かつ本来の目的にも合う形に着地できるかを考えながら流れを作っていった。ドイツの哲学プラクティショナー協会の綱領では、自分が実践者としてなぜその行動を取るのか、その理由を言語化していく重要性について触れられているらしい。そのことも思い出しつつ、オーダーメイドで内容を考えていくことの楽しさと重要性を改めて感じた経験だった。

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今回は「汝自身を知れ」という言葉がふさわしい場だなと思ったのでフリップを作成。真理の探究と自己を見つめることが密接に結びついているということがわかって、ベタながらいい言葉だなと最近思う。

今週読んだ本

遅ればせながら読んだ。エッセイとして素晴らしい本だと思う。哲学対話に参加したことないという人の感想もSNSでちょくちょく見かけるが、それだけ筆者の文章は多くの人に響くのだろう。自分はどのように哲学対話の風景を見ているのだろう、と思いを馳せる機会にもなった。

特権やインターセクショナリティなど多くの概念が紹介されていて、かつ実例を交えてわかりやすく、とても学びの深い本だった。マジョリティ属性を多く持つ人が差別のことを考える際にとても役立つ一冊だと思う。

(おわり)

日々の断想(11/8〜11/14)

あまりブログを更新できていなかったので、週1ぐらいのペースで最近の出来事を書いていこうと思う。

「寄りあい」をした話

ある集まりで起きた問題を話し合うために1泊2日で「寄りあい」を行う。宮本常一の『忘れられた日本人』に描かれた、かつての村の寄りあいの様子に着想を得たものだ。

筆者は対馬に調査に訪れた際に、村に保管されていた古文書をしばらく拝借しようとした。村人が言うには、貸出を許すかどうかは村民で話し合わないといけないとのことで寄りあいが始まったという。

いってみると会場の中には板間に二十人ほどすわっており、外の樹の下に三人五人とかたまってうずくまったまま話しあって雑談をしているように見えたがそうではない。事情をきいてみると、村でとりきめをおこなうには、みんなの納得のいくまで何日でも話しあう。
この寄りあい方式は近頃はじまったものではない。村の申し合せ記録の古いものは二百年近いまえのものもある。それはのこっているものだけれどもそれ以前からも寄りあいはあったはずである。七十をこした老人の話ではその老人の子供の頃もやはりいまと同じようになされていたという。ただちがうところは、昔は腹がへったら家へたべにかえるというのでなく、家から誰かが弁当をもって来たものだそうで、それをたべて話をつづけ、夜になって話がきれないとその場へ寝る者もあり、おきて話して夜を明かす者もあり、結論がでるまでそれがつづいたそうである。といっても三日でたいていのむずかしい話もかたがついたという。気の長い話だが、とにかく無理はしなかった。みんなが納得のいくまではなしあった。だから結論が出ると、それはキチンと守らねばならなかった。話といっても理窟をいうのではない。一つの事柄について自分の知っているかぎりの関係ある事例をあげていくのである。話に花が咲くというのはこういう事なのであろう。
そういう場[村里の生活の場]での話しあいは今日のように論理づくめでは収拾のつかぬことになっていく場合が多かったと想像される。そういうところではたとえ話、すなわち自分たちのあるいて来、体験したことに事よせて話すのが、他人にも理解してもらいやすかったし、話す方もはなしやすかったに違いない。そして話の中にも冷却の時間をおいて、反対の意見が出れば出たで、しばらくそのままにしておき、そのうち賛成意見が出ると、また出たままにしておき、それについてみんなが考えあい、最後に最高責任者に決をとらせるのである。これならせまい村の中で毎日顔をつきあわせていても気まずい思いをすることはすくないであろう。と同時に寄りあいというものに権威のあったことがよくわかる。(「対馬にて」)

これは1950年代の話だそうが、かつての日本の村にこんな話し合いの場があったことに驚かされ、自分たちでも試してみることになった。

さすがに三日三晩の話し合いはできなかったが、ほぼ24時間、一緒に食事を食べ、疲れたら横になって眠り、用事があれば一旦抜けるなどしつつ、問題についていろいろな角度から話し合った。直接関係ない話もどんどん出る。普段の話し合いでは少し横道に逸れたと判断されるような話だが、不思議とそれらを聞いていると問題を同じ視点で眺められるようになってきたようにも思える。場に葛藤が生じても他の話を挟み、冷却できる時間があるのも大きい。たしかに三日も話し合えばたいていの話が合意に至れるのではないかと思った。いつか三日三晩の話し合いをしてみたい。

リペアカフェに行った話 

左京区でやっていた「For Cities Week 2021」のイベント。都市をテーマにした展示や活動が展示されており興味深かった。

www.forcities.org

友人がやっていた「リペアカフェ」に参加した。欧州で広がっている、壊れたモノを一緒に修理する集まりだ。

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自分は壊れた箸入れを持っていった。ロック部分の爪が取れて閉まらなくなってるが今でも使い続けている。

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友人と話しながらロックの仕組みを考える。ツメの代わりにその辺にある木片を側面に貼り付けるとロック感が戻り、きちんと閉まるようになった。

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ついついプラスチックを溶接するとか「元の形を再現する」ことを考えてしまっていたが、モノの構造を理解して新たな形を見出す体験はとても新鮮だった。修理をすることはモノとの付き合い方を考えるいい機会になると思った。

読んだ本

『13歳から知っておきたいLGBT+』を読む。LGBTQIA+の多くのアイデンティティと用語について詳しく、かつ慎重に紹介されていた。多くの用語(ラベル)が紹介されているが、そのラベルを用いる(あるいは避ける)人がどのようなことを考えているのか、その理由についても注意深く記載されており非常に勉強になる。

(おわり)

地域に根差すということ:「原発禍の町で問う」より

お送りいただいた『哲学対話と教育』、辻明典さんの「原発禍の町で問う」を読む。

哲学対話と教育 (シリーズ臨床哲学 第5巻)

思い描くことができるだろうか、放射能と共にある暮らしを。…(略)まずは目を瞑り、山川に映える花々の美しさと、放射能が共存する風景を、思い浮かべていただくことからしか、小論を始めることはできないであろう。

震災後には様々なことを根源から問い直すことができる〈風穴〉や〈裂け目〉が開いたはずだが、それが徐々に閉じ始めていると辻は述べる。本稿では震災後、学校が普段通りの生活を早期に取り戻したことに注目し、そこに生の意味づけを回避する機能があると指摘した苅谷剛彦の論が紹介されている。震災前と同じ時間割、制服、クラブ活動…学校が急いで取り戻したこれらのルーティンは「考えずにいられる日常」への復帰であり、そこでは「別の生への意味づけ」が覆い被される、と苅谷は指摘する。

震災という経験の個人的な位置付けが、社会的・制度的な意味づけによって覆い被されてしまう。オリンピックもその例であるし、「10年という節目」をめぐるイメージも危うさが含まれるように思える。南相馬での「てつがくカフェ」はそれらの「生の回収」に抗い、〈裂け目〉にとどまり続ける試みなのだと感じる。

辻は南相馬での「てつがくカフェ」は地域に根を張ることと、物事を根本から問い直すこととが同時に行われるという意味でまさにラディカル(radical)だという。

2018年にてつがくカフェ@南相馬を訪問した。和やかな雰囲気の中で参加者が語る言葉には、そこに織り込まれた生活の歴史があるように確かに感じた。コロナ禍でますます「場所性」が失われていくように感じる昨今、辻がいう意味での「ラディカルさ」と「根差すこと」の意味を改めて噛み締めている。

京都の廃村でカレーの精霊になった話

昨年のことになりますが、「大見新村プロジェクト」が開催する「ニューまつり」に参加してきました。このプロジェクトは京都の廃村状態となった地で「新しい村」を作ろうとする試みです。

oomi-shinson.net

村では「ニューまつり」というお祭りが年1回開かれており、以前から関心があったのですが今回ようやく参加することができました。感想をプロジェクトに寄稿しましたので、このブログにも転載しておきます。

映像も年末に公開されました。以下からご覧いただけます。

↓こちらが本編です。

京都の廃村でカレーの精霊になった話

不思議な村への到着

9月下旬、私は京都市左京区にある「大見」にいた。三千院で有名な大原のさらに先、滋賀との県境にその不思議な「村」はある。この村で開催される奇妙な「祭り」に参加することが今回の目的だ。

大見に向かう公共交通機関はなく、自家用車かバイクで行く必要がある。今回、幸運にも村の方にピックアップ用の車を手配いただけることになり、大原のバス停からさらに先、山中の細い道を進んでいった。市内はまだ半袖でも過ごせる陽気だったが、車中ではクーラーをつけず窓を全開にしていた。山中を進むにつれて明らかに気温が下がってくるのを感じた。20分ぐらい経っただろうか。車一台がやっと通れる道幅が急に開け、数件の民家が現れた。村へ到着したのだ。

車を降りると太鼓の音色が聞こえる。どうやら翌日の本祭に向けた準備が進んでいるらしい。程なくして、山道から村人たちが列をなして歩いてくるのが見えた。ある人はススキを身に纏い、続く人は上裸、また別の人は丸太を担いでいる。後から聞いたところによると、これは村にあるモノたちに感謝するための伝統的な装いらしい。

行列は村の奥にある広場まで続き、そこでは太鼓の音色に合わせて収穫を祝う踊りが繰り広げられていた。踊っている人たちと観客の境界は曖昧で、それぞれが入れ替わり立ち替わりに踊りに参加する。はじめはその様子を見ていた私も次第に引き込まれ、スコップ(これも村のモノだ)を叩いてリズムに加わることにした。踊りにはバイオリンや獅子舞(今回は特別参加らしい)も加わり、熱狂の中で終わった。

 夜の儀式と「精霊会議

祭りは翌日まで開催されるということで、私はその晩村に泊めていただくことになった。食事を終えた後、火を囲んでの踊りが行われる。太鼓の独特の音色の中で踊りが繰り広げられる。街灯がないため外は全くの暗闇で、炎だけが照らしている独特の空間だ。

踊りが佳境に差し掛かった頃、長い木の棒を持った村人たちが4人あらわれ、それぞれが手にした棒を炎の中に立てかけていく。4本の棒を組み合わせて自立させようと試みているようだ。しかしバランスが取れずなかなか上手くいかない。そこに5本目の棒を持った村人が現れ、5本の棒をかざすことで見事にバランスが取れた。

この「儀式」は豊穣の精霊を讃えるためのもので、5本の棒を立て精霊に祈ることで翌年の豊作を祈願するものだとされている。ここで特に重要なのが5本目の棒を持つ人であり、今年は女性が選ばれたという。5本目の棒は混沌に調和をもたらす象徴であり、村では物事の要となる人物のことが「5本目の棒」と例えられることがあるらしい。 

「儀式」の後、前祭のクライマックスといえる「精霊会議」が始まる。炎を囲む村人たちが精霊を呼びよせ、自身に精霊を憑依させるのだ。私にも精霊を呼び寄せる事ができると聞き、半信半疑で輪の中に加わらせていただいた。

炎を囲んで座り、精霊たちを呼び寄せる。しばらくすると隣に座っていた男性が謎の言葉で話し始めた。日本語ではなさそうだが、不意に彼が「ブルーシートの精霊」である事が理解できた。なぜ私は理解できたのだろうか?それを皮切りに私にも何か「自分ではないもの」が降りてきたような感覚を味わう。私の口からは自然に「カレー」という言葉が出ていた。それが人間の言葉だったかは今となってはわからない。

そこからの記憶はひどく朧げであるが、その場ではニワトリやカエルの精霊、人工石の精霊、美味しい物好きの精霊など、具体的な正体がわからないものも含めた精霊たちが思い思いの言葉を話し合っていたように思う。夜が開けると私は正気に戻っていたが、カレーの精霊が私の口を通して語った「本当の自分がどこにあるかわからない」という言葉だけはなぜか記憶に焼き付いていた。

本祭の様子

一夜明け、本祭は昨夜炎に捧げた5本の棒を川に再び立てるところから始まる。男たちが川に自立した棒にススキを捧げ、川の水で清める儀式を行う。これで炎の精霊と水の精霊の両方に祈りを捧げられたことになるという。

清められたススキは、村の奥にあるシコブチ神社に捧げられることになっている。この神社は古くから村を守る神社であり、村人たちはススキを担ぎ、太鼓を鳴らしながら神社の境内に向かう。境内に到着した一行は神社に祈りを捧げた後、締め括りとして川に清めたススキを再び流す。ススキが川に流され、下流にある村に届くことで来年の豊作と安寧を願うものだという。

こうして今年も大見の祭りは無事に幕を閉じた。モノや精霊、自然とともに生きる人間の原初のあり方を強く感じた貴重な経験だった。 

…以上は約40年前に廃村状態となった大見で新しい村を作ろうとするプロジェクトである「大見新村」プロジェクトで開催された「ニューまつり」の様子だ。かつて行われていた祭りの様子はすでに分からなくなってしまっているそうで、新しい村の祭りを一から作る、というのがそのコンセプトだ。

ニューまつりは今年で4回目になるそうだが、祭りの内容は毎回即興で決められているため、私がここまで書いてきたような由緒ある言い伝えや伝統は当然ながら無い。しかし、今回実際に祭りを体験してみて、あたかも「ずっと前からあった」ように感じた瞬間があったことが不思議だった。それは音楽と踊りのリズムであったり、炎の中で現れた小さな奇跡だったり、川での即興的な儀式のなかで立ち現れてくる、時間を超えた「何か」であった。

即興の中で偶然立ち現れる高揚、喜び、神秘。各地に残る伝統的な祭りについてもそのルーツは案外、決してコントロールできないこれらの瞬間を再現しようと繰り返された結果なのかもしれないと思った。この文章もその「再現」につながる試みといえるかもしれない。

(転載おわり)

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(おまけ)カレーの精霊になってみて

ニューまつりの夜に行われた「精霊会議」では「人間以外の存在同士の対話」がコンセプトになっていて、各々が好きな存在になりきって話し合いを進めました。私は直前まで何の精霊になろうか迷っていたのですが、結局自分が一番関心のあった「カレー」の精霊になってみることにしました。

初めのうちはカレーの精霊ってどんな口調なんだろう、そもそも日本語話すのかな…とかいろいろ邪念がよぎっていたのですが(笑)、他の精霊に「どこからきたのか」という質問をされたときに「インドだったような気もするし、違うような気もする。」とすんなり応えることができ、またその後に「本当の自分がどこにあるかわからない」という言葉が自然に出てきたのは自分でも驚きでした。その瞬間にカレーの精霊が一つの人格になったように感じ、また人間としての自分の存在とどこかリンクするような感覚がありました。

昨年はカレーZINEを作ってみたり、対話を開催してカレーについて考えましたが、「カレーになってみる」というこの経験も印象深いものとなりました。

そういえばカレーを愛する人の中には、カレーの写真を撮ることを「自撮り」と表現した人もいましたね。愛するということは「自他合一」によって起こると西田幾多郎はいいましたが、カレーを愛し、深く知りたいと思うのは「カレーと一体化する」感覚に近いかもしれません。

我々が物を愛するというのは、自己をすてて他に一致するの謂である。自他合一、その間一点の間隙なくして始めて真の愛情が起るのである。我々が花を愛するのは自分が花と一致するのである。月を愛するのは月に一致するのである。 (『善の研究』より)

そんなカレーを愛する人たちに寄稿いただいた「カレーZINE」は好評発売中です(宣伝)

philosophy-curry.booth.pm


 (おわり)

自宅でできる思考ワーク「名言が生まれた家」をつくりました

 人間の不幸の唯一の原因は、自分の部屋で静かに過ごすすべを知らないところにある。
パスカル『パンセ』)

昨今の状況を受けて私もずっと自宅にいるのですが、自分の家は見慣れた風景なのでどうしても退屈しがちです。そこで自宅を新鮮な気持ちで眺めることのできるワークを考えてみました。*1

名付けて「名言が生まれた家」

Zoomなどで複数人で楽しむこともできますし、一人で遊ぶこともできるワークです。
興味の湧いた方はご自由にお試しあれ。

コンセプトなど

ワークは以下のような設定で行います。

みなさんは研究者で、ある名言(出所不明)が生まれた家を特定しようとしています。研究者たちの努力の結果、その名言にゆかりがあるとされる家の候補は絞られてきました。
皆さんは候補になっている家(=みなさんの自宅)を調査して、その名言が生まれた痕跡を調査し、説得力のある仮設を立ててください。

つまり「ある名言がみなさんの自宅で生まれたと仮定して、自宅を調査し、名言が生まれた痕跡を探る」というワークです。

作家などの著名人が住んでいた家が観光名所になっていることがありますよね。そこを訪れたひとは「この机であの作品が生まれたのか〜」とか「この窓から見える風景が影響を与えたのかな〜」とか色々想像しながら(他人の)家の中をウロウロすると思います。これと同じことを自宅でやってみよう、というのが基本的なコンセプトです。

あそびかた

複数人でワークを行う場合はZoomなどのアプリを使います。手順は自由にアレンジいただいても構いません。よりよいアイデアがあればぜひ共有いただければと思います。

  1. Zoom等で集合し、みんなで一つの名言を決めます。
    いくつかの候補からルーレットやクジでランダムに選ぶのをおすすめします。

  2. 名言が決まったら、集合時間を決めて、各自家の中を調査します。時間は20分前後がいいかと思います。Zoomを使う場合40分の時間制限があるため、ここで一旦会議を終了し、集合時間に開始する別のZoom会議を設定しておきましょう。

  3. 「名言がそこで生まれた」といえるような風景・物などの「痕跡」を各自の家の中で探します。その名言が何を意味するのかを考えつつ、その意味に合致する「痕跡」を探してみましょう。

  4. 時間が来たらみんなで再集合して、各自の見つけた「痕跡」と仮説を共有し、どの説が最も説得力があるか話し合います。参加者によって名言の意味の捉え方が少しずつ違うことも多いと思いますので、それぞれの説の共通点や相違点を話し合うと役に立つかもしれません。

  5. 終わり方は自由ですが、時間に余裕があれば感想を共有してもいいと思います。おつかれさまでした。

ひとりでも1〜3の作業はできますので、ひとりで楽しむこともできます。調査結果をSNS等で発信して、他の人の調査結果と比べても面白いと思います。

以下、やってみてわかった注意点やコツです。

  • 自宅をあたかも他人の家であるかのように思い込みましょう。名言を考えたのは自分ではなく、その家に住む他人だと考えたほうが楽しめます。
  • 作者が明らかな実在の名言だと、その作者のイメージに引きずられてしまいます(下の記録参照)。出所不明の名言(けっこうあります)を選ぶか、作者を隠しておいたほうが面白いと思いました。
  • 見つけた風景や物などの「痕跡」は画面で共有できた方がいいと思いますが、難しい場合や自宅を公開したくない場合は口頭での説明だけでもOKです。

実際にやってみました

試しにZoomを用いて4人でやってみました。ルーレットで選ばれた名言はこれ。

砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだ。
(サン=テグジュペリ)

各自の自宅を調査した研究員たち(参加者)からは次のような仮説が出ました。

  • 研究員A
    浴室が汚かったが最近になって何回か掃除された痕跡がある。
    汚れきった空間から美しい浴室を目指したのだと思われるが、その過程で掃除それ自体の美しさに気づいてこの名言が生まれたと推測できる。

  • 研究員B
    絵のトレース台が置いてあった。明らかにここで名言が生まれたと思われる。
    発言者は絵が得意だったが、ある日「井の中の蛙」だということに気づいた。
    しかし果てしない絵画の道への挑戦が美しいのは、かつて「井の中の蛙」だった自分があるからではないか。この名言はそのことを表したものだと推測できる。

  • 研究員C
    家の地下に使われていない蛇口があった。家の近所には砂漠のような土地があるので、ここで喉を潤した経験を振り返った発言ではないかと推測できる。

  • 研究員D
    部屋の中に植物とウイスキーが置いてあった。植物は前から部屋にあったと思われるが、おそらく荒んだ生活を送っていたところに余裕が生まれて、植物に気付いたときにこの名言が生まれたのだと推測できる。
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↑ちなみに私の家でした

 
C以外の説は「砂漠」と「井戸」を比喩的に何かを当てはめていましたので、話し合いではそれぞれの説で「砂漠」と「井戸」が何を表わしているのかを掘り下げて考えてみました。この作業は共同でワイワイできるので面白かったです。

  • 研究員A:「砂漠」は掃除の作業、「井戸」はまだ生まれていない空間
  • 研究員B:「砂漠」は挑戦、「井戸」は自尊心
  • 研究員D:「砂漠」は生活、「井戸」は余裕

ここまでやったところでワークは終了。今回はサン=テグジュペリの名言を使いましたが、彼のイメージや経歴をイメージしてストーリーを膨らませた人もいました。ただどうしても参加者によって知識にバラツキがあるので、みんなでやる場合は作者は一旦伏せておいて、後でネタばらしした方が面白いかなと思いました。

 おわりに

いかがでしたか?もともとこのワークはオランダの哲学者ピーター・ハーテロー氏の考案した「哲学ウォーク」という実践に影響を受けていますが、「名言を使用する」という点以外はかなり違ったものになりました。
他にも自宅でできるワークを考え中ですので、完成したら順次公開する予定です。お楽しみに!

*1:このワークの開発にあたっては、桂ノ口結衣さん、富田真史さん、米村真吾さんにご協力いただきました。ありがとうございました!

「エリートパニック」についてのメモ

 レベッカ・ソルニットの『災害ユートピア』を改めて読んでいる。

 元々は「被災地をめぐる哲学対話」というシンポジウムの関連企画として、この本を読むイベントを開催しようと準備していたが、新型コロナウイルスの影響でイベントを中止することに決めた。奇しくも、今読むと色々なことを考えさせられる。

『災害ユートピア』は災害時に現れる即席のコミュニティと人々の連帯について描いた本であるが、同時に「エリートパニック」という言葉を広めたことでも有名だ。ソルニットは災害時に起こる「パニック」について以下のように記している。

地震、爆撃、大嵐などの直後には緊迫した状況の中で誰もが利他的になり、自身や身内のみならず隣人や見も知らぬ人々に対してさえ、まず思いやりを示す。大惨事に直面すると、人間は利己的になり、パニックに陥り、退行現象が起きて野蛮になるという一般的なイメージがあるが、それは真実とは程遠い。二次大戦の爆撃から、洪水、竜巻、地震、大嵐にいたるまで、惨事が起きたときの世界中の人々の行動についての何十年もの綿密な社会学的調査の結果が、これを裏づけている。

けれども、この事実が知られていないために、災害直後にはしばしば「他の人々は野蛮になるだろうから、自分はそれに対する防衛策を講じているにすぎない」と信じる人々による最悪の行動が見られるのだ。(pp.10-11)

本書では「最悪の行動」の例として、サンフランシスコ大地震において民衆の暴徒化を恐れた兵士が一般人を銃撃した事例や、関東大震災における朝鮮人社会主義者への襲撃、ハリケーンカトリーナの際に見られた黒人への暴力や差別の事例などがあげられている。これらは一見「パニック」が引き起こした典型的な事例のように思えるが、いずれのケースでも悲劇を招いたのは民衆ではなく、権力を持つ側、例えば公的機関やメディアなどが「恐怖に駆られて、彼らの想像の中にのみ存在する何かを防ごうとし、行動に出」た結果であるというのがソルニットの主張だ。

災害社会学者のキャスリーン・ティアニーは「エリートは、自分たちの正当性に対する挑戦である社会秩序の混乱を恐れる」と述べ、このような事態を「エリートパニック」と表現した。その中身は「社会的混乱に対する恐怖、貧乏人やマイノリティや移民に対する恐怖、火事場泥棒や窃盗に対する強迫観念、すぐに致死的手段に訴える性向、噂をもとに起こすアクション(p.172)」であるという。「エリートパニック」はラトガース大学教授のカロン・チェスとリー・クラークの造語であるらしいが、本書ではクラークの言葉が紹介されている。

カロンが言ったのです。『普通の人々』がパニックになるなんて、とんでもない。見たところ、パニックになるのはエリートのほうよって。エリートパニックがユニークなのは、それが一般の人々がパニックになると思って引き起こされている点です。ただ、彼らがパニックになることは、わたしたちがパニックになるより、ただ単にもっと重大です。なぜなら、彼らには権力があり、より大きな影響を与えられる地位にあるからです。彼らは立場を使って情報資源を操れるので、その手の内を明かさないでいることもできる。それは統治に対する非常に家父長的な姿勢です。(p.175)

災害時に民衆がパニックになり暴徒と化すという「パニック神話」は、ホッブスの「万人の万人に対する闘争」のイメージにも似ているが、その神話は災害を描いた映画などにおいて、今でも健在である。しかし実際にはこのイメージは思い込みに過ぎず、「数十年におよぶ念入りな調査から、大半の災害学者が、災害においては市民社会が勝利を収め、公的機関が過ちを犯すという世界観を描くに至った」とソルニットは述べている。

さて、本書では地震やハリケーンだけではなく、疫病に関する事例も紹介されている。

医学史研究家のジュディス・リーヴィットは、二回の天然痘流行を例に挙げ、権威者たちの行動が、いかに危機を左右し、開かれた社会の価値を表すかを説明した。*1一八九四年にミルウォーキーで勃発したときには、公衆衛生局局長が上流階級と中産階級の人々には検疫を認め、「その一方で、同市の貧しい移民居住区では隔離病院への強制入院を執行したことが、事態をいっそう悪化させた。この差別が良い結果を生まなかったことは想像に難くない。結果、天然痘は市中にまんえんした。"ミルウォーキーのクズ"という言葉が新聞にはたびたび登場したので、市の南部に住む人たちは、所詮それが一般市民の自分たちに対する見方であり、当局も自分たちには何をしてもかまわないと思っているからこそ、方針にそのような不公平が生じたのだと感じた。したがって、移民は天然痘の症状が出ても報告せず、衛生局の職員がやってきても患者を隠すという手で応じた。そして最終的には、強制隔離や予防接種に対し、暴動で手向かったのだった。」(p.173)

しかし、1947年にニューヨークで天然痘が発生したときの状況は異なった。市民は協力者として扱われ、流行の状況や発症例について毎日多数の記者会見や報道があった。これにより事の成り行きを知らされていると感じたこともあって、二週間以内に500万人の市民が自由意志で予防接種を受けたという。*2上記の例からは非常事態における情報公開や開かれた社会の重要性を学ぶことができるが、そのようなあり方は非常時に急に変えられるものではなく、普段の社会の姿が反映されるのだと思う。

「自分たちの正当性に対する挑戦である社会秩序の混乱を恐れる」エリートパニックは政府や公的機関に限らず、例えば会社の経営者、イベントの主催者など、責任や権力を伴う様々な立場の人々が陥ると個人的には考えている。新型コロナウイルスをめぐる日本の状況は日々目まぐるしく変化するため、その渦中において「これはエリートパニック」だと判断することは容易ではないが、「こんなことをしてはみんなパニックになってしまう」「既に決まったあり方を変えたくない」と思うとき、自分自身がパニックになっていないか立ち止まって考えたいと思う。

(おわり)

*1:翻訳では「いかに事態そのものや、開かれた社会の重要性を左右するか…」になっているが、意味が取りづらいためこの部分だけ原文(shapes a crisis and the value of an open society)に基づき意訳した。

*2:ところがこのような事例があるにも関わらず、2005年にはアメリカの連邦政府の高官たちは「もし新しい大流行が起こった場合は軍による強制接種が必要であろう」と推測したという。「その背後にあるエリートパニックと発想の根を断つのは難しい(p.174)」。

わたしはひとり でもあなたとふたり:苫野一徳『愛』

「南区DIY読書会」という集まりで愛 (講談社現代新書)の感想を発表したので加筆して掲載します。読書会主催のカサ・ルーデンスの情報はこちらから。

苫野一徳『愛』感想

「そこに愛はあるのか?」某CMではないが、こう問われると一瞬考えてしまう。

自分ではどれだけ愛を感じているつもりでも、この問いの前で立ち止まってしまうということがあるかもしれない。喜びや怒りを感じるとき、その感情自体を疑う、ということはあまりしないにもかかわらず、である。このことは、愛が一種の「理念」であることを示している。

筆者の苫野氏は、かつて全人類が互いに溶け合い、調和的に結ぼれあっているという強い啓示を受け、それを「人類愛」の真理とよんだ。しかし、その啓示は様々な理由で後に崩壊する。そのとき感じたものが本当に「愛」だったのか、そもそも「愛」とは何か。本書の探究はそこからはじまる。

本書では性愛や恋愛、子どもへの愛、神の愛などが検討されているが、いずれにも対象と自分が一体であると思う「合一感情」と、相手を独立したものとして尊重する「分離的尊重」が含まれる、と筆者は論じる。ただし、それらはいずれも「このわたし」のエゴイズムに回収される危険性を含んでいる、とも。

例えば恋愛においては、まずは相手への「自己ロマンの投影」とそれへの陶酔がある、と筆者はいう。自分の憧れや理想を現実世界に見出した「わたし」の喜び。それは「合一感情」かもしれないが、あくまで自分の中に相手を回収しようとする動きである。それが恋愛へと発展するには、相手を独立したものとして尊重する「分離的尊重」が必要になる。筆者はこの表れの例としてゲーテの詩を引いている。

東の国からはるばると

わたしの庭にうつされたこの銀杏の葉には

心あるひとをよろこばす

ひそかな意味がかくれています。

 

もともとこれは一枚の葉が

二つに分かれたものでしょうか。

それとも二枚がむすぼれ合って

ひとつに見えるものなのでしょうか。

 

この問いに答えようとして

わたしはほんとうの意味がわかりました。

わたしの詩を読むたびにお感じになりませんか

わたしはひとり でもあなたとふたりでいるのだと。

(『西東詩集』より「銀杏」小塩節訳)

「わたしはひとり でもあなたとふたり」。この表現はフロムが「共棲的結合」(服従や支配など)と成熟した愛とを区別している箇所と重なる。

共棲的結合とはおよそ対照的に、成熟した愛は、自分の全体性と個性を保ったままでの結合である。愛は、人間のなかにある能動的な力である。人をほかの人びとから隔てている壁をぶち破る力であり、人と人とを結びつける力である。愛によって、人は孤独感・孤立感を克服するが、依然として自分自身のままであり、自分の全体性を失わない。愛においては、二人が一人になり、しかも二人でありつづけるという、パラドックスが起きる。(フロム『愛するということ』より)

「二人が一人になり、しかも二人でありつづける」ことをフロムはパラドックスと表現したが、これが「何の矛盾もなく統合的に経験」されることに筆者は愛の本質をみる。

恋が一方的な感情であるのに対して、私たちは「恋愛」において、「合一」と「分離」の弁証法という理念的情念を相互の関係性において感じとるのだ。「恋愛」において、わたしたちは恋がそのような仕方で育て上げられているのを感じとるのだ。(p.141)

筆者は愛は育てあげられることで「存在意味の合一」と「絶対分離的尊重」に至り、「真の愛」になるとする。「存在意味の合一」とは、「相手が存在しなければ、わたしの存在意味もまた十全たり得ない(p.76)」とする確信であり、「絶対分離的尊重」とは、「このわたしに決して回収され得ない(p.77)」存在として対象をとらえることである。筆者はかつて自らが感じた「人類愛」には「絶対分離的尊重」がない点で真の愛ではなかった、と振り返る。

愛と客観性

本書で苫野は愛は「意志」であるとしている。愛への意志とは『「存在意味の合一」をわたしに与えるこの人を、しかし同時に、わたしとは絶対的に分離された存在として尊重しようとする意志(p.207)』である。「存在意味の合一」に比べ、「絶対分離的尊重」はそう容易く得られるものではないという。

さて、以前「知と愛」について西田の考えを取り上げたが、苫野は西田の愛についての考えには「絶対分離的尊重」の契機が驚くほど欠けている、としている。

フロムは『愛するということ』にて愛を技術であるとし、人格的な発達、ナルシシズムの克服の先にある「客観性」の獲得の必要性を説いているが、対象と自分を分離して尊重できるようになることもまた、愛にとっては必要ということになりそうである。愛と理性は何となく対立するように思っていたが、そうではないかもしれない。「愛」については今年も引き続き考えていきたい。

(おわり)

愛 (講談社現代新書)

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愛するということ 新訳版

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