ラーメンと哲学カフェは似ている、という話
最近「麺なしラーメン」というのが登場しているらしい。
グッバイ罪悪感!女性の味方「麺なしラーメン」が今年ブームの兆し! - macaroni
「麺なしラーメン」とはその名の通り、「ラーメンから麺を抜いたもの」。つまりスープとトッピングのみのラーメンです。もはや「ラーメン」と呼べるのか疑問は残りますが、とにかくこの「麺なしラーメン」がじわじわと人気を集めているようです。(上掲記事より)
ラーメンといえば中国発祥だが日本で独自の進化を遂げ、今では様々な種類のラーメンが生まれている。スープのないラーメンはこれまでもあったが、ついに麺のないものまで現れたのか、という感がある。自分は「少なくとも麺がなければラーメンではない」だろうと思っていたが、記事には次のように書いてあり、なるほどと思った。
ドイツではラーメンを「麺なし」で注文したり、スープだけを飲んで麺を残してしまう方がいるそうです。そもそもラーメンは「麺料理」ではなく「スープ料理」だという認識があるためこのような食べ方をするのだとか。
ドイツ人に聞いたことがないので真偽の程はわからないが、確かにラーメンをスープ料理とみることは可能だろう。何をラーメンの本質とみるかは人によって違うのだ。
さて、「日本の哲学カフェ事情を教えてほしい」という風な依頼をたまに頂く。日本の哲学カフェは増加と多様化の一途をたどっており、「人が集まって何かについて話す」ことがギリギリ共通しているぐらいで、哲学カフェ一般について語ることはかなり難しくなってきている。このような状況をできるだけ手短に伝えるため、最近は「哲学カフェはラーメンと同じぐらい多様化しています」ということにしている。
哲学カフェ=ラーメン説。
考えてみれば、哲学カフェも海外(フランス)から輸入されたものが日本で独自の進化を遂げている、という点でラーメンと似ている。「これはラーメンなのか?」と思うような挑戦的な一杯が日々登場しているのと同じように、哲学カフェに関しても挑戦的な取組が次々と生まれている。哲学カフェの本質は「哲学」であったり「カフェ」であったり、はたまた別のものであったりと、人によって様々な解釈があるのだと思うし、ラーメンと同じように多様な解釈に開かれているからこそ、ここまで広がったのでは、とも感じる。
自分はどんな哲学カフェがしたいのだろうか。昔ながらの中華そばを極めるのか。ニューウェーブ的なラーメンを開発するのか。簡単には答えられないが、少なくとも食べ歩きは好きなのでこれからも続けたい。
ちなみに麺なしラーメンは結構イケます。
(おわり)