哲学カフェ/哲学対話

ICPIC2022体験記その3:メイン・カンファレンス2日目

ICPICメインカンファレンス2日目の振り返りです。過去の記事はこちらから。 Keynote2 中岡成文氏「子どもとはだれ?哲学対話とはなに?」 2日目は中岡さんの基調講演から開始。自分の中の「こども」に焦点を当てる内容で、この後の他のセッションでも海外の…

ICPIC2022体験記その2:メイン・カンファレンス1日目

ICPIC開催からだいぶ経ってしまったが、振り返りを残しておこうと思う。まずはメインカンファレンスの1日目。 スケジュール(勝手に日本語訳したもの) Session1:Room H タイトル:Children's right to participation: challenges from the Philosophy ofCh…

ICPIC2022体験記その1:プレカンファレンス・ワークショップ

東京で来週から開催される「子どもの哲学国際学会(ICPIC2022)」に参加する予定。 icpictokyo.jp 本大会に先立ち8月5日・6日と行われたプレ企画にも参加したので、その様子を書いておこうと思う。parkさんの企画も少し覗くことができたが、とりあえずKohan…

「てつさんぽ」開催記録

先日「てつさんぽ」というワークショップを開催したので記録を残そうと思う。このワークショップはピーター・ハーテロー氏が考案した「哲学ウォーク」をベースにしたもので、いくつかのアレンジを加えてある。 ハーテロー氏が日本で実施した哲学ウォークにつ…

地域に根差すということ:「原発禍の町で問う」より

お送りいただいた『哲学対話と教育』、辻明典さんの「原発禍の町で問う」を読む。 哲学対話と教育 (シリーズ臨床哲学 第5巻) 思い描くことができるだろうか、放射能と共にある暮らしを。…(略)まずは目を瞑り、山川に映える花々の美しさと、放射能が共存する…

哲学対話とマジョリティについて

いつからか、「自分には見えないものがたくさんある」と思うようになった。 例えば差別を受けてきた人や、様々な困難とともにある人から聞く体験が、表面上は理解できても、リアルに感じられないことがある。自分の何気ない発言が、知らずのうちに誰かを傷つ…

WS「哲学ツーリズムを考える3」レポート

8/24・25に開催された「哲学プラクティス連絡会」にて「哲学ツーリズムを考える」ワークショップを開催しました。今回で第3回目になります。 哲学ツーリズムに関してはこちらをご参照ください。 ↓第一回のWSの内容 そもそも第二回(去年)のレポを書いていな…

WS「哲学を因数分解する」レポート

8/24・25で東京にて開催された「哲学プラクティス連絡会」で、「哲学を因数分解する」というワークショップを行った。かなり遅くなってしまったが、当日のレポートを書きたいと思う。ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。 趣旨 以下が事前の告知…

感想:「ナラティヴ・コミュニティを、まなぶ。」

先日「ナラティヴ・コミュニティを、まなぶ。」というイベントに参加してきました。 ナラティヴコミュニティを、まなぶ。 ひょんなことからお声掛けをいただき、哲学カフェの紹介を行うために登壇?することに。自分としては以前から哲学カフェ(及びその他…

ラーメンと哲学カフェは似ている、という話

最近「麺なしラーメン」というのが登場しているらしい。 グッバイ罪悪感!女性の味方「麺なしラーメン」が今年ブームの兆し! - macaroni 「麺なしラーメン」とはその名の通り、「ラーメンから麺を抜いたもの」。つまりスープとトッピングのみのラーメンです…

手放せ、死ね、甦れ!〜「死の練習」としての哲学?〜

哲学する、というのは結局どういうことなのだろうか。哲学カフェなどなまじ「哲学」の名のつく活動をしているばかりに、「哲学って何することなんですか?」という質問をこれまで幾度となく受けてきた。いまでは「自分が当たり前だと思っていたことを立ち止…

ひとの「余白」を奪うな

Lexicon 現代人類学を読みはじめたのだが、2章の「レヴィ=ストロースの構造主義」の記述にさっそく目が止まった。筆者の出口氏は、レヴィ=ストロースは『神話論理』において「神話を語り伝えることで新世界先住民が培うモラルと同調すること」を目指してい…

コミュニケーションが/その場で/哲学する:堀江剛「ソクラティク・ダイアローグ」

最近出た堀江剛氏の「ソクラティク・ダイアローグ」の感想です。 ソクラティク・ダイアローグ (シリーズ臨床哲学4) 作者: 堀江剛,中岡成文 出版社/メーカー: 大阪大学出版会 発売日: 2017/12/01 メディア: 単行本(ソフトカバー) この商品を含むブログを見…

哲学カフェはなぜ「カフェ」なのかー「カフェ性」の探究へ④

前回の記事で、カフェという場のもつ「コード」について書いた。 前の記事にも以下のように書いた通り、カフェのコードと哲学カフェの「ルール」は共通している。このことについて最後に考えたい。 哲学カフェで説明される「大切にしていること」や「ルール…

哲学カフェはなぜ「カフェ」なのかー「カフェ性」の探究へ③

過去二回に続いて、カフェの話。 hare-tetsu.hatenablog.com hare-tetsu.hatenablog.com 前回カフェの歴史をごくごく簡単に紹介したが、「カフェ」は歴史的にみても「市民の社交場」として、立場や肩書きに関係のない議論の場として機能していた。多くの哲学…

哲学カフェはなぜ「カフェ」なのかー「カフェ性」の探究へ②

前回の記事で、哲学カフェにおいては「哲学」と「カフェ」が切り離しがたい形で結びついているのでは、という話を書いた。そして、哲学カフェの「カフェ」の部分について考えてみたい、と。 hare-tetsu.hatenablog.com 前回にも書いたように、多くの哲学カフ…

哲学カフェはなぜ「カフェ」なのかー「カフェ性」の探究へ①

突然の話で恐縮だが、「メイドカフェはメイドなのか?」と問われたらあなたはどう応えるだろうか。「いや、メイドカフェはメイドのいるカフェであって、メイドカフェ自体はメイドではない」と応えるのではないだろうか。これは当たり前の話で、多くの「カフ…

「哲学カフェ」と「哲学対話」を使い分けてみる、という話

最近はイベントの種類によって「哲学カフェ」と「哲学対話」という言葉を使い分けるようにしています。これはどう見てもカフェっぽくない場所で「哲学カフェ」を名乗ることに抵抗がある、という素朴な考えからはじまっているのですが、最近は少し踏み込んで…

「問い」が生まれるとき

先日京都の妙満寺で開催された哲学カフェに参加してきました。「雪の庭」という庭が有名なお寺です。当日は非常によい天気で気持ちよかったです。 会場はこちら→顕本法華宗 総本山 妙満寺 今回はお寺を30分ほど自由に回った後で、みんなで考える問いを決める…

自分の哲学カフェのルール変遷をまとめてみた

久しぶりに哲学カフェのルールを見直そうと思い立ち、考え中。良い機会なのでこれまでの変遷(?)をまとめてみました。主に自分の備忘録用。改めて振り返ると結構変わっているような、変わっていないような… 2011〜(小金井哲学カフェとか) ■冒頭の説明 哲…